CANACO

真夜中の弥次さん喜多さんのCANACOのレビュー・感想・評価

真夜中の弥次さん喜多さん(2005年製作の映画)
3.1
2005年公開の宮藤官九郎初監督・脚本作品。映画『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』(2003)の2年後の公開。『GO』(2001)が邦画オールタイムベスト3に入るほど好きで、宮藤さんのことを尊敬している。

深く愛し合う弥次さんと喜多さん。ヤク中でリヤルを感じられない喜多さんと、ひょんなことから妻・お初を死なせてしまった弥次さんが、お参りすれば全て赦されるというお伊勢参りに行き、“てめえ(自分)探し”をする珍道中物語。

もともと出鱈目な2人が、伊勢参りにかこつけてやりたい放題する。カラフルでギャグ満載。私は全体的にハマらなかったけど、部分部分では面白い。好きなおかずと、そうでもないおかずの差が激しい幕の内弁当みたいな感じ。長瀬くんがいなかったらどうなってたんだろう。詰め込みすぎて幕の内弁当のフタが閉まってない感じはある。

2人がゲイ(正確にはともに両刀)という設定は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』通りで、陰間(宴席で男色を売る役者)だった喜多さんに弥次さんが惚れるという流れ。

本作の原作はしりあがり寿氏の同名漫画。続編『弥次喜多 in DEEP』は、第5回手塚治虫文化賞のマンガ優秀賞を受賞している(青木雄二 『ナニワ金融道』、望月峯太郎『ドラゴンヘッド』、三浦建太郎 『ベルセルク』などと同格)。

原作は本作ほど明るくなく、読み始めると、心理の深淵まで連れていかれて、帰してくれない感じがする。手塚治虫氏本人に「天才」と絶賛された(UTmazgazine「手塚るみ子×しりあがり寿のディズニートーク(前編)」より)しりあがりさんが描く原作の景色は、この映画の三途の川のように暗く、個人的にはホラーゲーム『SIREN』すら思い出す。リアルと夢をぐるぐる廻る感じの再現は『ジェイコブス・ラダー』を撮ったエイドリアン・ラインに実験してもらいたかったくらい。

上映直前に行われた、しりあがりさん、宮藤さん、糸井重里さんによる「ほぼ日」座談会によると、しりあがりさんは、
>その頃は、世間が「リアルが足りない」ということを悩んでたような感じがしてたんです。だからぼくはリアルじゃなくてもいいじゃないか、わけがわからなくてもいい、という物語を描きたかったんですよね。
と語っている。原作は1994年から2002年に連載された。1995年に「Windows95」がリリースされている。

この原作に対して宮藤さんは、以下のように語っていたので、原作をとても「ゆるく」は読めなかった自分は、宮藤さんの天性の楽観性とコント作家資質を尊敬し、だからこのようになったのだと理解した。
>原作のしりあがりさんの漫画もわけがわからないままに展開していくゆるさがいいですよね。(中略)だから原作の漫画を読むときのゆる~い気持ちで映画も見ていただきたいと思ってるんです。

本作はたしかにゆるく、大人計画の松尾スズキさん、お笑い芸人陣含め、全員がとにかく楽しそうに見える。中盤の山口智充さん、後半の研ナオコさんの露出度と、中盤以降の荒川良々さんの出し方は異常で、夢に魘されるほどだけど、単に監督が好きなんだろなと。

十八代目中村勘三郎さん(七之助さんの父)に、あのアーサー王を演らせることができただけで本作には価値がある。七之助さんは、あの父の勇姿に涙したと思う(褒めてます)。

前述の座談会で宮藤さんは次のようにも語っていた。言いたいことなどない、揉めたくない、説教なんてしたくないと。だからきっとこれでよかったのだ。
>正直、あの、(永久的に)言いたいこと、ないんですよ。
CANACO

CANACO