なべ

タクシードライバーのなべのレビュー・感想・評価

タクシードライバー(1976年製作の映画)
5.0
 てっきり満点案件かと思ったら…。フィルマでの点数の低さに思わずのけぞってしまった。不朽の名作というか、マスターピースというか、とにかく時代を経ても色褪せない確かな作品だと疑いもしなかったから。少なくとも20世紀には、よほどのひねくれ者か読解力のない奴以外、この作品が持つ圧倒的なパワーに疑問を持つ者などいなかったはず。何でもかんでも説明しないとわからない世代には、説明不足で難解な作品になってしまったか。

 ベトナムから復員したトラヴィスは内に闇を抱えたまま、日常を過ごしている。念のため説明しておくと、頭痛に悩まされ、不眠症で眠れないというのは戦争によるPTSDでは最もポピュラーな症状ね。ベトナム帰り・不眠症は一発でわかる慣用句。もっと言えば、序盤の雑多なシーンで「除隊してどう生きていいのかわからない都会の孤独な男の話」まで把握できるようになっているのだが、残念ながら今どきの説明過多な映画に慣れた観客には届かなくなってしまった。あんなにサラリと饒舌に語り尽くされているのに。
 憤懣と孤独と狂気。今では珍しくないテーマだが、こんなにインパクトのある描き方はタクシードライバーが初めてだったのではないだろうか。時代の空気感とも相まって、当時の映画ファンはこぞって本作に夢中になったものだ。
 この狂気のヒーロー像は後のジョーカーなどに受け継がれるのだが、生憎ぼくにはジョーカーがただのタクシードライバーの説明過多な劣化版にしか見えない。しかし読解力の低い観客にはあそこまで言わないと通じないのだなとはわかった。

 トラヴィスが抱えている不満や憤りは、戦争を知らないぼくらにも「わかる」感覚だ。でもほとんどの人はトラヴィスのようにはならない。それはネガティブな感情を狂気に育て上げるほど孤独ではないからだ。
 彼にもチャンスはあった。しかし、せっかく見つけた生きる目的も、ひどいデートプランで玉砕。そりゃポルノ映画じゃフラれるわな。自業自得なまずい選択なのだが、これはモデルとなったアーサー・ブレマー(ジョージ・ウォレス暗殺未遂事件の犯人)の実話に基づいてる。他にも、女性にフラれて銃器に走ったスコセッシの実話などが反映されてたり、いろんな事実というか、負のエビデンスが脚本に練り込まれている。なんだかわからないけど事実味があるというのは、そういうことだ。こうした凄みがこの時代の脚本にはある。ここ、大事な鑑賞ポイントだからね。
 トラヴィスの場合、ポルノ映画がデートには向いてないことを知らなかったわけだが、好印象な笑顔とは裏腹に常識に欠ける人間っていますよね。誠実なのに常識がなくて、強引なのに傷つきやすい。サバサバしてるかと思ったらすごく根に持つ。多かれ少なかれ人は自己矛盾を孕んでいるでしょ。そういうリアルな人物がスクリーン現れた衝撃は今も忘れられない。デ・ニーロがメソッド演技で肉付けし、トラヴィスの存在をより強固なものに仕上げたのも画期的だった。彼の狂気日記のくだりなどは息を凝らして見入ったし、You talkin' to me? のところは鏡の前で真似した奴も多いはず。ちなみにこの役を演じるにあたり、デ・ニーロは本当にタクシーの運転手をやったそうだ。デ・ニーロといい、アル・パチーノといい、アクターズスタジオの連中はほんとどうかしてる。大好き!

 剥き出しの悪意や絶望をはらんでいる薄汚れた街を流しながら、内に抱えた狂気を育てていく過程のなんとスリリングなこと。そうして出来上がったモヒカン刈りの勇姿のヤバさよ。不遜な笑みで聴衆の中で拍手する姿の異様さに震えずにいられようか。
 誰でもよかったのだ。怒りの矛先がパランタイン候補に向いたのは、たまたまベッツィーに関わりがあったから、たまたま客として乗せたことがあるからに過ぎない。彼の狂気が満ちて爆ぜるとき、パランタインは世間に衝撃を与えられる最上限の存在だった。それだけ。もちろん彼ごときが厳重な警備網を突破できるはずもなく、銃に触れただけで敗走。
 だがほとばしる狂気は止まらず、ターゲットを12歳の少女に買春をさせてるスポーツに変更。この節操のなさ。脈絡のなさ。
 その後のバイオレンスはアメリカン・ニューシネマの最後を飾るにふさわしい名暴力シーン。人を殺すのがスタイリッシュでもスマートでもなく、ひたすら骨の折れるものだとわかる剥き出しの暴力。
 カンヌでは賛否が分かれたが、公開後はラストのカタストロフが大衆から大いに支持されれた。みんなわかってしまったんだと思う。程度の差こそあれ気づいてしまったんだと思う。自身の中にもある狂気に。
 これはそういう作品。スコセッシやポール・シュレイダーがそこまで目論んでたかは不明だが、見る人の中に小さな自覚を促し、その後の人生に関わる一粒の種を植え付けるような。中には本作を観て実際に犯罪に走る者も現れたが、彼らはやはり孤独だったのだろう。

 最後に劇伴について触れておきたい。
 どこかのブログで、繰り返し流れる同じ旋律に飽き飽きしたとあったのを読んで驚いたことがある。彼は繰り返される主題を理解できないばかりか、名曲と呼ばれるこの曲を聴いてうんざりしていたのだ。人それぞれだから何をどう発言してもいいのだが、正直かわいそうだと思った。
 タクシーは都会の喧騒の中にあっても常に密室で孤独な空間だ。バーナード・ハーマンはこの“都会の孤独”を見事に表現していると思う。アーバンだけど甘く切なくて淋しげだ。歴代のiPhoneに必ず入ってるこの美しいスコアは、数あるテーマ曲の中でも屈指の名作だと思う。

 果たしてトラヴィスの狂気は解放されたのか。…まだ継続中なのだ。

追記
 ちなみに脚本のポール・シュレイダーは「魂のゆくえ」で監督・脚本を務めていて、本作を現代に甦らせている。ベトナム戦争が身近でなくなった今、都会の孤独を環境と宗教に翻案している。いわばタクシードライバーの姉妹編ともいえる作品なので、興味のある方はぜひトライしていただきたい。
なべ

なべ