アラカン

タクシードライバーのアラカンのレビュー・感想・評価

タクシードライバー(1976年製作の映画)
3.9
カタルシスを求めて彷徨う社会的弱者の姿があまりに生々しく描かれているので、時代も場所も違うけれどこれを見てなにか自分の未熟で醜い部分に触れられたような感覚になる人は多いのではないだろうか。

名誉除隊後、夜勤のタクシードライバーとしてNYの夜を駆けるトラヴィス。そこで目に映るこの街の陰鬱な面に辟易としている。その中に指した一筋の光明がベッツィであったわけだが、あまりのきしょアプローチのためもちろん振られてしまう。「お前が悪い」でしかない。唯一の光にすら裏切られ消沈どころか逆恨みするトラヴィスさんだが、タクシードライバーという職業柄色んな人間と出会うわけで、ある日の妻を殺すと滾った眼差しで告白してきた男から変な影響を受けてしまう。きっと最初は本気で復讐するつもりなどはなく、ある種のストレス発散として形だけでもと購入したであろう銃達、男なら一度は妄想した事があるだろう「俺を怒らせたら怖いぜ?」のシチュエーションをずっと練習していた訳だが、ある日強盗を成敗することで自身の役割を悟ってしまう。かつて大統領候補に語った「この街の汚れを掃除してくれ」という願いは自分の手でこそ行うべきだと。最初はきっと暴力の矛先は自分を否定するこの世界の構成要素なら何でも良かった、けれど自分に役割があるのなら、もしそうなら自分のするべきことは……、というお話。

結果児ポを私刑するマンになって!俺を認めてくれ!と12歳の少女をヒロインに仕立てあげてしまう。なんとなく「あー、トラヴィスきっとここで死んじゃうんだろうな」と思ったらしっかり関係者全員あの世に送って自分は生き残るという主人公バイタリティを見せてくれた。今まで無視してきたベッツィも世の中も手のひらを反して賞賛してきたけれど、弱者のままのトラヴィスと対等に話し認めてくれたアイリスはきっともう軽蔑してるんだろうなぁ。
客観的に見ても全然トラヴィスが正しいことをしてる(殺してはいるけど)から責める気はないけれど、結局彼の行動からしてトラヴィスもアイリスを自分の英雄譚の舞台装置としてしか見てなかったんじゃないかな。
一幕終わったあとの彼の眼差しは何を意味しているのか…。


デ・ニーロの目の動きと間の使い方はトラヴィスの変人っぷりを見事表していて素晴らしいなと。ただ今作は主人公の属性的な部分もあるが会話よりもモノローグでこそ彼の演技力は光っていた。
ジョディ・フォスターは若い時から貫禄が素晴らしいけれど、22歳の自分よりも大人びててとても辛い気持ちになった。
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