ROY

讃歌のROYのレビュー・感想・評価

讃歌(1972年製作の映画)
4.2
エロティシズムの讃歌

心の目に映るお琴さまのお姿は永遠に美しく輝いておりまする

愛とは捧げるもの・・・愛とは奪うもの・・・。単なる被虐趣味をつき抜けて、盲目の闇に思考と官能がとけあう美と陶酔の世界。巨匠新藤兼人が、愛の「献身」と「掠奪」の中に人間のエゴイズム、愛の極限を描く、文豪谷崎潤一郎の不朽の名作「春琴抄」の映画化。

従える少女と従う少年。ふたりのすさまじいまでの愛はやがて究極を迎え…

琴三弦の道に生きる盲目の美女・お琴と、彼女に献身的に尽す丁稚・佐助の日常を描く耽美的作品。

■INTRODUCTION
谷崎潤一郎の『春琴抄』を新藤兼人が脚色・監督・製作した。他の『春琴抄』映画化作品とは一線を画し、春琴の家で働いていた女中へのインタビューという形で話が進む。インタビュアーは新藤兼人その人である。(「all cinema」より)

■STORY
薬種問屋の娘・春琴(女中は“とうさん”と呼んでいる)は9歳で失明するが、琴の才能には恵まれていた。美貌も兼ね備えた春琴はわがまま放題で、そんな彼女の身の回りの世話は全て使用人・佐助が行っていた。やがて琴は師匠の看板を上げ、弟子を取るようになる。そんなある夜、事件が起こる。(U-NEXTより)

琴三弦の道に励み、十五才には他に比肩するものがないほどの才能をみせた盲目のお琴。そしてお琴の稽古のお供を日課とし、崇拝と奉仕ひとすじ、どんな苦役にも甘んじて仕える佐助十八才。佐助はお琴に憧れ、ひそかに夜中押入れの暗闇の中で音を立てずに三味線を爪弾くことで同じように盲目の世界に浸るのは無上の喜びであった。ある晩曲者が侵入、お琴の顔に熱湯を浴びせ、その顔は無残な火傷をとどめた。佐助だけにはその顔を見られたくないと頼むお琴に、佐助は「必ず見ないようにします」と誓うのだった…。(「King Records」より)

■NOTES
男のマゾヒズムを美的恍惚の世界へ昇華させている。

「苦唸」

「目の見えないお二人には触覚の世界だけが残されているだけだす。問わず語らず、細かな情愛が交わされているのですね。佐助はんはほんまに楽しそうでした。献身的にお仕えなされ、おっしゃはんもまたどこまでも奉仕を求めていやはりました」

「心理描写うんぬんに次いで、とくに戦後になって争点とされたのは、この小説には、いかに生きるべきかの痛烈な問いかけと訴えがない、という説である。だが、思考と官能がぴったりと重なりあい、信仰と絶望がなんらのひずみもなく美の陶酔に通じる人間の愛の世界をくりひろげたこの小説は、単なる嗜虐的精神病理学の臨床報告ではない。同時に、『蓼喰う虫』や『卍』において磨きぬかれた関西語、とくに大阪弁の陰翳深い饒舌体を思うままに駆使したこの作品は、ただその匂いやかな古典性だけによっても、人生の問題を秘めていないはずがあろうか」(原作『春琴抄』の解説より抜粋)

■THOUGHTS
これを機にもう一度原作を読み直した。西村孝次さんによる解説も読み直した。

「近代映画協会」っていうのがあったんだ

刻苦精励の努力型

新藤監督、口から血が出てまっせ。

重箱に鳥の羽を入れる

インタビュアーが問い詰める。「本当を話しなさい。お前さんは本当を知ってるんだ」

「目が合ったら見えるではないか。」純粋なあまりに目を潰したのか。

「目が開いとるというもの不自由なもんやな」

目が開いたとき感動した
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