Jeffrey

讃歌のJeffreyのレビュー・感想・評価

讃歌(1972年製作の映画)
3.8
「讃歌」

冒頭、春琴と佐助。九歳で失明、琴三弦、熱湯による無残な火傷、薬種問屋、妊娠、美貌、盲目の闇、思考と官能、お琴と佐助、三味線の音、暗闇。今、美的恍惚の世界へと広がる…本作は谷崎潤一郎による中編小説の"春琴抄"を新藤兼人がATGで監督した一九七二年の作品で、盲目の三味線奏者とマゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描いた秀作で、DVDを購入して再鑑賞したがやはり素晴らしい。この原作は様々な監督によって映画化、アニメ、オペラ、舞台化されている。無論、私はこれ一作しか鑑賞したことがないが…。ちなみに読ん度目の映画化だそうだ。

本作はエロチシズムが豊富で、新藤監督は新しい映像によって現実とロマンの世界を対立させ、さらに深い人間像を描くことによって、新しい角度から谷崎文学の追求をしたと語っているだけあって、映像は非常に美的的である。日本の伝統美をロマンティシズムを謳いあげた感じがして非常に好みなー本だ。とりわけセットやライティングが非常に魅力的である。それとやはり衝撃的な愛のシーンの数々が見所で、一つ一つ丹念に撮影されているのがはっきりとうかがえる。しかも監督自身が初めて劇中に登場した作品でもある。


さて、物語は琴三弦の道に励み、十五才で他に比肩するものがないほどの才能を見せた盲目のお琴。そしてお琴の稽古のお供を日課とし崇拝と奉仕一筋、どんな苦役にも甘んじて仕える佐助十八歳。佐助はお琴に憧れ、密かに夜中押し入れの暗闇の中で音を立てずに三味線を爪弾くことで同じように盲目の世界に浸るのは無上の喜びであった。ある晩、曲者が侵入、お琴の顔に熱湯を浴びせ、その顔は無残な火傷をとどめた。佐助だけにはその顔を見られたくないと頼むお琴に、佐助は必ず見ないようにしますと誓うのだった…と簡単に説明するとこんな感じで、予定調和的な物語性を排除しているところが非常に評価できるフィルムである。他の監督が撮った映画をまだ見たことがない為にあまり言及できないが、醍醐味を味わうと言うよりかは、女中であった人物が二人の物語を話していくと言う設定が面白い。

この映画は形而上学に近く、感覚、経験を超えた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする哲学が形式で進行していっている。なので映画の冒頭で、坊主の男が老人ホームに尋ねる男性が老人ホームに入る女中だった女から自ら目撃した彼ら彼女らの物語を語らせると言う形式になっているのだ。本作の画期的な所は、肉体を通して象徴的に表現した奇形性と日本人形の佇まいを醸すお琴の魅力と弱々しい佐助の安易な男の恋愛模様をシンボリックに描いている点だ。何が言いたいかと言うと、決して美男美女ではない二人が、かえって観客が感情移入しにくくしているのが見事であると言うことだ。ドラマツルギーに忠実な恋愛物語が排除されている。



さて、印象に残ったシークエンスは、赤い風呂敷みたいなの後座に引いて三味線の猛特訓する佐助にお琴が折檻する場面の長ったらしいワンシーンは気迫あっていい場面で、佐助演じる河原崎次郎が相当三味線を練習したんだろうなと思う。まさか斉藤耕一監督の「津軽じょんがら節」の盲少女のように音を合わせて弾いたふりをしているのと一緒ではあるまい…。それと冷え性だから懐に足を入れて温める佐助がある晩、虫歯で苦しんでいたため、その冷え切った足を頬に載せたらけっとばされて痛がる場面なども強烈である。妙なエロティシズムを感じる場面だ。後どうでもいいけど、この映画始まった瞬間にスタッフとキャストが紹介される場面で流れる音楽が個人的にすごく好きである。劇中に結構流れるんだが、サントラとかあったら普通に買いたいな。無いみたいだが…。

利太郎演じる原田大二郎が強烈なキャラをしていて、あのプールで泳ぐシーンや稽古の時に眉間を割られて出血して憤慨する場面などインパクトがある。 河原崎次郎が真っ裸になってやり投げ選手みたいにかっこつけて走りながら大きな目ん玉のオブジェに針を刺す想像力の中の演出は見事である。ここから目の見えない世界が広がり、触覚だけの世界へと変わる重要な場面である。所謂、目開きの人生と盲目の人生を味わう佐助が盲になった事に幸せを感じ、愛する者の願いであればひたむきに懸命に努力する姿が何とも言えない。
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