カラン

無法松の一生のカランのレビュー・感想・評価

無法松の一生(1943年製作の映画)
3.5
☆熊男

人力車を引く無法松こと富島松五郎は、前半は鈴木清順の『夢二』(1991)の長谷川和彦のように暴れ回るが、後半は相米慎二の『光る女』(1987)の武藤敬司のように可愛らしい大きな熊ちゃんになる。この熊男の変化には奥さんへの恋心が関係しているらしいが、大日本帝国の内務省と、戦後のGHQによる二重の検閲で、哀れ、熊男の恋心は消滅する。車引の陸軍将校の未亡人への所詮はかなわぬ恋なれば、多めに見てやればいいのだろうが、軍の未亡人は軍の女なのだ、とでも言いたかったのか。


☆ディゾルブ

足を骨折した少年を家まで送ったシーンが終わると、路地で桜が舞いあがる。続いて、鎧兜、鯉のぼりと繋げる。本作は検閲で相当なカットがなされているので、どこまで稲垣浩の意図したものなのか分からないが、ここでは時は進まず。桜や子供の日の風物で一月単位で時の経過を映しだして、誰か死んだのだろうか?くらいに思わせるが、何も変わらない。熊男の想いが変わらないからだろうか。などとと思っていると墓場にシーンが移って、誰か死ぬ。

この後、車輪のショットが増える。同じ考え方をすべきなのかもしれない。車輪は回転する。しかし想いは変わらずと。無数の提灯のディゾルブも宮川一夫がとても丁寧に作ったのだと思う。


☆足の内側

無法松が囲炉裏の傍に座っていると、ぼんぼんが寄ってくる。無法松は「仕事をしないで火に当たってばかりいると、こんなのができるんだ」みたいなことを言って、膝の内側にできた染みというのか、変色しており、複数できたあざについて話すのであった。火傷には見えない。仕事がないとできるもので、痛くない、らしい。何の病気なのだろうか。脚気は栄誉失調で起きるから、仕事がないというのとは矛盾はないが、あざができるものだろうか。それとも梅毒だろうか、、、と気になるくらいに、川島雄三の『幕末太陽傳』(1957)のフランキー堺の咳のように、不吉な余韻が残り、尾を引く。


1958年に稲垣浩がセルフリメイクした際には、三船敏郎と高峰秀子を起用したようだが、撮影は同じ一夫さんでも山田一夫になる。どういう違いがでるのだろうか。

Blu-ray。『残菊物語』のデジタルリマスター版よりも画質、音質は少しましか。
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