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皆殺しの天使のbluetokyoのレビュー・感想・評価

皆殺しの天使(1962年製作の映画)
3.1
正直に言って、さっぱりわからない。簡単に言ってしまうと、富裕層の方々がパーティーを開くわけだが、なぜか部屋から出られなくなる。部屋といっても、一室というわけではなく、トイレには入れるみたい。部屋から出られなくなるので、夜は雑魚寝するしかないが、まず、困るのは、水がないということだ。さらに食料もない。
20数人が部屋から出られなくなっているので、外からも、どうしたんだという騒ぎになって、屋敷に入ろうとするのだが、こちらはこちらで屋敷に入れないのだ。

しばらくすると、通常通りになる。やれやれよかった。教会に行こう。ということで、教会に行くと、今度は、教会から出られなくなっている。
これがオチで、ここで終わっている。

出られないといっても、物理的に閉じ込められて出られないわけではない。最初は、パーティーが盛り上がって、帰るのが面倒になった、というふうに閉じ込められている面々は思いこむわけだが、水がない時点で、自分たちは閉じ込められている、という認識に至るのだ。

さらに、病気で倒れる人もいる。一刻も早く、医者に見せなければいけないのだが、なんとしても、部屋を出られないのだ。病人は、そのまま死亡した。

このようにして、閉じ込められた人々は、異常を認識するわけだが、なぜか、部屋の中をウロウロしている羊に関しては、誰もなにも言わない。
部屋の中で羊を飼っているとも思えないのだが。

召使たちや女中たちは、なぜか、このことを予期しているかのように、みな、なんらかの理由で先に帰ってしまう。執事一人だけが残る。

水がないので、壁をぶっ壊して、中の水道管もぶっ壊して、水を得るのだ。

なんの隠喩、風刺なのか、当時の社会情勢、地域、文化の特性に関わるものなのか、さっぱりわからない。
だが、なんとなく見れてしまうのは、不自由に苦しんでいるのが、カネ持ちだからだろう。
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