あなぐらむ

シー・オブ・ラブのあなぐらむのレビュー・感想・評価

シー・オブ・ラブ(1989年製作の映画)
3.8
70年代の寵児だったアル・パチーノも80年代には不遇の時代があって、「スカーフェイス」後、低迷からの本格的な(ショウビズへの)復帰作となったのがこの作品だ。プロット自体は今でも、いや今だからこそ十分説得力があるものになっている。

引退を間近に控え、女房を同僚に寝取られてしまった(これは米映画の基本プロットであり、男としての尊厳を喪失している事を指す)仕事だけが生きがいのさえない刑事。彼が担当する事になるのは孤独な人々が雑誌記事を通して出会いを求めるコミュニティで起こった連続殺人事件。現場にはラブソングの名盤「シー・オブ・ラブ」のレコードが必ず置かれている(ロバート・プラントのカヴァーが出たのは1984年)。
メディアを介して見ず知らずの他人と出会おうとするこの仕掛けは、未だに商売のタネになるのか後を絶たない。大都市で社会生活を営む彼/彼女らには互いに秘密もあるだそうし、見栄や嘘も当然必要となってくる。そこに潜んだ危険を知りつつも、彼らはそれを利用する。それは淋しいからだ。
主人公は嘘のプロフィールでおとり捜査をかける。(この件はテレビドラマ「マイアミ・バイス」にもある。こちらはビデオ・デート・クラブ。イケオジのドン・ジョンソンが演じるプレイボーイ、ソニィ刑事だからこそできる設定だ)次々と候補者を当たるがいずれもシロ。私生活も含めて全てに疑い深くなっていた彼が出会った魅力的な女/容疑者、エレン・バーキン。小説でいう所の「ファム・ファタル(致命的な女)」ものである。

アル・パチーノがこの情けない、未練がましく陰険で、小心者な刑事を見事に演じている。精神的なタフネスを持たない人間臭すぎるキャラクターは非常に難易度が高い役柄だが、流石は百戦錬磨の演技派、きっちりと造形している。
また、本人のキャリアとしても最大のブレイク・ポイントとなったであろうエレン・バーキンはセクシュアルで、かつ純な部分もあって深い悲しみを内に抱えるヒロインを体当たり(今使わないね)で演じてこの映画の大きな収穫になっている。
脇役で相棒の刑事を演じるジョン・グッドマンのコメディ・リリーフぶりも特筆に値する。ともすれば重く悲しいばかりの話になってしまう所を、彼の人なつっこい笑顔が大いに助けていた。

ハロルド・ベッカー監督はオーソドックスだが丁寧に心情描写とサスペンスを組み立て、合間にちょっとしたユーモアも挟み込んで観客を殺伐とした気持ちにさせないヒューマンな演出ぶりを見せる。MTV全盛期とあって、カット割りにはミュージックビデオ的なテイストも見られ、中でもアル・パチーノとエレン・バーキンのコンビニエンス・ストアのシーンは出色だろう。

当時のアル・パチーノ自身を重ねたようにも思える不遇な環境にある主人公が、危険な愛だからこそ溺れてしまう愛。猟奇殺人犯と主人公の中にある共通性が浮き彫りになるラスト(彼は「ヒート」、「インソムニア」でも対極にあると思われる人間/敵との精神の共通性を演じようとしている)。
伏線の張り巡らし方も巧みで、男女が簡単に分かり合えない、愛し合えなくなった現代の都会生活を多重構造でエンターティメントにしてみせた事で時代を代表する、そして俳優たちの起死回生となる作品になり得た、ハードボイルド映画の秀作である。脚本のリチャード・プライスは「ハスラー2」の人。小説家なのね。