剣豪のような独特な間合いもった映画だった。
一枚の絵が、片岡千恵蔵の顔力によって、バスバス決まる。
カットバックが多くなくとも、1枚の絵でどっしり構えている。間が怖くて詰めてしまいそうなところも、割らずにじっくり見せている。
主人公は虚無に取り憑かれたニヒルなヒーローだ。中里介山による原作は二・二六事件といった同時代の雰囲気を多分に取り込んでいる。
今回の内田吐夢版では、原作に比べ演出はマイルドだった。(犯すシーンや殺すシーンが少ない)
ある評論家の分析にあった
「机龍之助には、近代的な自我の意識というものがまるでない。目的もない。すべてが前世の「業」のようなものの継承であって、すべてが「行きずり」なのだ。」
という指摘が面白かった。自我は西洋近代によって発見されたものである。
加えて、背景美術の作り込みやエキストラ・斬られ役の質の高さに舌を巻く。邦画全盛時代の勢いを感じた。
1957年にしては早い総天然色のシネスコープ上映。