平和を祈るヒツジくん

パッションの平和を祈るヒツジくんのレビュー・感想・評価

パッション(2004年製作の映画)
4.7
【2回目視聴】
これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
  『神は言われる。
  終わりの日に、わたしは
  すべての人にわたしの霊を注ぐ。
  あなたがたの息子や娘は預言し、
  青年は幻を見、老人は夢を見る。
  その日わたしは、
  わたしのしもべにも、はしためにも、
  わたしの霊を注ぐ。
  すると彼らは預言する。
-使徒の働き 2:16〜18』

パッションの続編が撮影開始したので再視聴。
初見の時は「監督はサディストなのか!?」と思うほど、描写が痛々しかった。
しかし、大人になってから見ると、自分の罪深さで胸が痛い。イエス様は僕と、あなたのために人の罪を一身に受けられた。


『ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです
-使徒の働き 2:36』

イエス・キリストの話を嘲笑するのは、あの下品なローマ兵に等しい罪だ。

神さま、僕の罪をお赦しください。罪を繰り返す、愚かな者ですが、イエス様を十字架につけた不信心な人間ですが、どうか罪をお赦しください。
罪を繰り返さないこと、神さまにいつも依り頼んでいけますように。アーメン。

【初見視聴】
ルカの福音書 23:34〜37
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい」
兵士たちも近くに来て、酸いぶどう酒を差し出し、「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ってイエスを嘲った。

僕が洗礼を受ける前、教会の牧師先生から薦められた一作。イエス様は僕やあなた達、全人類の罪を救うために、贖うために自ら十字架に架かられました。同胞のユダヤ人から「●ね」となじられ、棘だらけの鞭で叩かれ、半死半生の状態で死ぬほど重い十字架を背負い、ゴルゴダの丘(ドクロの丘)まで運ばなければならない。父である神様に問いかけても返事は帰ってこず、遂には「父よ。どうして私をお見捨てになったのですか(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)」と絶望の底に叩き落とされる・・・

その痛み苦しみはとても計り知れないものだと思います。イエス様の感じた痛み苦しみを表現しようとした監督の並々ならぬ情熱(パッション)を感じる映画です。
しかし監督はサディストじゃないか?と思うほどスプラッタな表現。個人的にはやり過ぎな気がします。

「イースターに見るべき映画」と言いますが、グロすぎるので「イースターってなに?イエスって誰だよ」って方は「サンオブゴット」の方が良いです。あのぐらいスッキリしてる方がいいですね。