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誇り高き挑戦のotomisanのレビュー・感想・評価

誇り高き挑戦(1962年製作の映画)
3.7
 日米安保更新2年目。「所得倍増」で政治から気を逸らされて働きバチ化されつつある日本人を嗤って痛罵する丹波哲郎は戦時以来の特務機関員で今じゃ武器密輸と寝返り強奪プランナー、二重スパイ的闇バイトでダブル収益の阿漕さがとてもクール。迎える側、ハの字眉毛をおもしろ気に作って見せる鶴田記者の緊迫感を押し殺した余裕そうな調子と対照的でいい。

 このふたり、立場の垣根がなければ高電圧バチバチ、ヤバ気なタッグが組めそうなんだが、生憎Occupied Japan時代の因縁深く到底折り合えない。しかし、鉄壁のGHQが消えた今、かの因縁亊が元で大手新聞から放り出され今じゃ総会屋もどきな業界紙記者に落ち着いた鶴田の、公論を起して丹波の図る不正を糺す筆舌がやっと奏効する?かと思いきや、鶴田がネタを持ち込む古巣紙は「アメリカの51番目の州」で連邦御用紙にでもなったつもりらしい。
 それでも構わず丹波糾弾をねぐらの業界紙でぶち上げるが逮捕どころか、かえって丹波は悪徳スパイとしてしっぽ斬り。属国日本の世間では丹波はやくざ抗争の犠牲として闇に葬られる。果たして予想の外の事だったかどうか。
 なぜかまだ生きてる鶴田だが、国を違えて執行する行政措置、もちろん暗殺指令だってあろうが、こいつも何かと手続きが遅いという現実の証拠に過ぎず、べつに鶴田に明日のいのちの保証があるわけじゃあない。

 その日の鶴田が、報道機関が第四の権力として認知される長い長い前日の姿とも見える一方で、その最後の日とも思えるのは、以降長い日米関係と冷戦時代をその背景でもある右と左のあわいに立つ日本の危なっかしい現実と、かつて維新以来、集団武闘化を率先した温和な日本人の自己不信とで「アメリカの属国のほうがいいんじゃないか?」と弱気になってる現状が滲むようであるからだ。

 毎日が命日の鶴田の本当の闘いが始まるのを希望の光の射すような締めくくりとするのも深作欣二は熊井啓ではないからである。熊井の「日本列島」の前日譚である本件を受けて後年、米軍通訳宇野重吉が沖縄で客死する。これがこの時代のこの件の正しい読み方であり、この日、鶴田が短い生涯を永らえる理由である。この二つの事件の間に日本はオリンピックを経験しGNP第2位の未来の間近さを確信するのだ。そうしていくつもの闇を置き去り一緒になにか後ろめたい過去も腹立たしい現実も一緒にかなぐり捨てて忘れようとするのだ。それを未だ知らない深作は精一杯日本人を鼓舞する。そこが深作の深作たる姿勢であろう。
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