シズヲ

祇園の姉妹のシズヲのレビュー・感想・評価

祇園の姉妹(1936年製作の映画)
3.8
「なんで芸姑みたいな商売があるんや」
「ほんまに、こんなもん無かったらええんや」

義理人情を重んじる姉と強かで気丈な妹、京都の花街に生きる芸姑姉妹の顛末を描く悲喜劇譚。今となっては音声的にちょっと聞き取りづらい部分も否めないけれど、それでも話の流れは掴めるし役者陣による古き良き京言葉も印象的。「ぶっちゃけ」が京言葉由来だったのが何だか面白い。どうやら本来の尺は95分あるらしいけど一部フィルムが失われているとのことで、アマプラで見れるのは69分の短縮版である。それでも一定以上の完成度を保ってるというか、寧ろ端的に纏まってるので凄い。

忙しない競売→店を畳む問屋一家の様子がシームレスに映し出される冒頭の長回し移動撮影を始めとし、屋内のセットや町の路地などを捉えたカメラワークが印象深い。泥酔した骨董屋のおっちゃんが酔った足取りで隣の部屋へと移動するさまをカメラが追いかけていくような演出がさりげなくもスマート。登場人物の会話を何処からか覗き見るような画面の構図も良いし、祇園の町並みを映したカットなども当時の空気感に満ちていて味わいがある。噛み合わない姉妹が物申し合いながら仲良く祇園社参りをしているシーンもさりげなく好き。

妹の“おもちゃ”という名前は可愛らしいけど(姉から“ちゃーちゃん”と呼ばれてて更に可愛い)、当人の在り方は寧ろおもちゃどころか逞しさに溢れている。芸姑に象徴される“搾取される女性”としての反骨心、それ故に男を手玉に取って生き抜こうとする力強さ。「あてらを散々慰みもんにしたり、品もんみたいに売り買いしたのは誰や? みんな男はんやないか」当時19歳の山田五十鈴の好演も相俟って印象深い。文無しの男を義理で世話してしまう姉がパトロンを得られるように計らうおもちゃの姿からは、強かな彼女なりの身内愛を感じられて好き。

中盤までは対照的な姉妹と二人を取り巻く男達がテンポ良くユーモラスに描かれるけれど、それだけに終盤の悲痛さが切なさを残す。男に尽くした姉も、男を利用しようとした妹も、最後は等しく男の都合に翻弄されてしまう。真逆な姉妹のどちらかに物語が肩入れすることもなく、双方とも不条理なエゴによって等しく突き落とされる。容赦なく終わるラストの遣る瀬無さよ。病床で泣き崩れるおもちゃの台詞は“泣きを見る女”としてのどうしようもない嘆きと憤りに満ちている。
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