ほーりー

祇園の姉妹のほーりーのレビュー・感想・評価

祇園の姉妹(1936年製作の映画)
3.7
溝口第二弾は『祇園の姉妹(きょうだい)』。

NHK BSの『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本』枠で放送された際、山本晋也監督が言っていたが、公開当時あまりにも本当のことを本当に描きすぎて内務省の検閲官から怒られたという一本。

検閲でカットされたことにより当初の尺よりずっと短い69分しか残ってない作品である。

『祇園の姉妹』の検閲に関しては、木下千花さんという研究者の方が書かれた論文がネットに上がっていたので参考になった。

社会悪を描きすぎとか、厭世的とか、エロすぎとかの理由だけではなく、場所が特定しやすい等の描写がリアルすぎるというのも当時の検閲の理由だったとは知らなかった。

かつて小津安二郎が「俺にできないシャシン(映画)は溝口の『祇園の姉妹』と成瀬の『浮雲』だけだ」と言ったそうだけど、現存している本編を観ただけではさほどそうとは思わなかった。

しかし、恐らく実際の舞妓の生態をリアルに描いた部分が相当カットされたのだと思う。

もし小津監督が検閲前のバージョンを観ていたのであれば、ディテールの物凄さから「実際に遊ばないとここまでリアルに描けないなぁ」と小津監督の感嘆したのではなかろうか。

溝口監督は実体験が豊富な人だったようなので、この辺りの演出は容易いものだったかもしれない。

さて『祇園の姉妹』は戦後の『祇園囃子』と比較すると、敗戦を経て祇園の人々と取り巻く環境の変わったところ変わらないところが透けて見えてきて面白い。

両作品とも身勝手な男と理不尽な社会システムに虐げられた女たちを描いたという点では似ている。

本作では昔気質の姐さん役を梅村蓉子、現代的な妹役を山田五十鈴が演じている。

山田五十鈴は当時十九才なので顔が初々しいのだが、演技力がすっかり身についていて既に女優として完成されているのに驚く。

ってかこの時点でもう既に実生活では瑳峨三智子をもう生んでいるのよね……。

さて本編。身勝手な旦那にも関わらず献身的な態度をする姐さんに我慢ならない山田五十鈴は、逆に言い寄る男を手玉にとって裕福な生活をしようと画策する。

それは単なるエゴによるものではなく、女性を蔑ろにする社会構造に対しての復讐だった。

山田の計画は上手く行くのだが、途中、ほんの些細なことから綻びが出て、最後は手痛い仕打ちが彼女に降りかかる。

昨今のワーキングプアの女性のニュースを見るにつけ、ラストの山田五十鈴の恨み節が真に迫って感じられる。八十何年経っても程度は少し変われども根本的な苦しみは変わってないのかもしれない。

確かに本作は社会批判の側面もある作品なのだが、この後の溝口監督の作品群を観れば観るほど果たして監督が女性の窮状を助けたいがためにこのような題材を撮っていたのではないような気がする。

■映画 DATA==========================
監督:溝口健二
脚本:依田義賢
製作:永田雅一
撮影:三木稔
公開:1936年10月15日(日)
ほーりー

ほーりー