シゲーニョ

小さな恋のメロディのシゲーニョのレビュー・感想・評価

小さな恋のメロディ(1971年製作の映画)
4.8
自分が映画好きになる大きなきっかけとなった作品の一つ、「小さな恋のメロディ(71年)」。

強い思い入れがあるはずなのに、先日のBS放送で云十年ぶりの鑑賞となったのは、本作が青臭かった昔の自分を思い出すようなセンチメンタルな気分にさせる作品に感じて、再鑑賞を控えさせていたのかもしれない。
端的に言ってしまえば、瑞々しさとか清々しさとか、もう自分にはない「キラキラした時間」を再体験することに、照れみたいなものがあったのだと思う。

本作は、恋をした11歳の男の子ダニエルと女の子メロディを中心に、子供たちの純粋な行動が周囲の大人たちを戸惑わせ、数々の事件を巻き起こしていく、いわゆるボーイ・ミーツ・ガールもの。

初鑑賞は、劇場公開から5年ほど経った1976年のゴールデンウィーク真っ只中、日曜洋画劇場(テレビ朝日)でのTV初放送。たしか7歳ほど年上の従兄弟のススメがきっかけだったと思う。

杉田かおるがメロディ役の声を務めたことは有名だが、個人的にはダニエルを吹き替えた内海敏彦の、アニメ「あらいぐまラスカル(77年)」の主人公スターリングに代表される、ボーイソプラノ風ながら可愛いだけでなく、気品のある穏やかな声が印象に残っている。

ただし一番の記憶は、観ている最中も、観終わった後も、何故か胸がザワついてしまったことだ。

それは主人公ダニエルと同年代の自分が、劇中の子供たちの考えや行動に強いシンパシーを感じたことが理由だろう。
映画やドラマを観ていて、登場人物の立ち振る舞いに「うんうん」と頷いたり、「こんなヤツ、いるいる!」とか「俺もそうそう」と感じてしまう経験は、どなたにも一度はあると思う。

「小さな恋のメロディ」の主人公たちは、同じ11歳の自分にとって自己投影するかのようなキャラクターだった。

ダニエルは自分のことに実は無関心な両親への反抗手段として、父親が読んでいる新聞にマッチで火をつけたり、女性の裸を描いた絵を母親に見せたりする。
対する父親は「母親の育て方が悪いんだ!」と無責任に怒ったり、母親は「ついこの前までは、おばあちゃんの顔や可愛いキリンの絵を描いていたのに…」とオロオロするばかり。

また、ダニエルのマブダチでガキ大将のトムが、校庭で堂々と煙草を吸ったり、朝の少年団の行進前にウィスキーを一杯ひっかけてくるその不良ぶりや、ストリップクラブに入ろうとしてボディガードみたいなオッさんにつまみ出される場面や大道芸人のおじさんの後ろで踊って怒られる場面での悪ガキぶりなど、妙な道徳心が邪魔してイタズラできない臆病だった自分にとって、憧れてしまうような、ちょっと背伸びした大人びた行動に見えた。

そして自分も含むほとんどの方が感心させられた思うのが、本作が少年少女のピュアなラブストーリー、ティーンエイジャー前に芽生える「異性への興味・関心」を丁寧に描いていることだろう。
劇場公開時、初めて見る外国人の子供たちの純愛に胸キュン(死語)したり、初恋を重ねた人も多かったと思う。

男子ばかりでつるんでいたダニエルが、バレエの練習をするメロディに一瞬で心を奪われ見とれてしまう時の表情。
生まれて初めての意味のわからない衝動に戸惑いながら、校内でメロディの姿を目で追い続けるダニエル。
全校朝礼の時、ダニエルの気持ちを友達からの伝言ゲームで知り、ダニエルの方をハッと振り返るメロディ。

そして音楽の演奏テストの時、
偶然二人きりになった待機室で始まる、ダニエルのチェロとメロディのリコーダーによる小さなセッション。
奏でるのはマーラーの交響曲第1番第3楽章にも使われたフランス民謡。誰でも一度は耳にしたことがあるフレーズ「ドレミド、ドレミド、ミファソ、ミファソ、ソラソファミド、ソラソファミド、ドソド、ドソド…」。
目と目が合う2人。メロディの親しみのこもった視線にダニエルの幸せそうな顔。
会話一つなくても互いの気持ちが惹かれ合っていくのが、観ていて手に取るようにわかる。

中でも気持ちを同じくしたのが、メロディに一目惚れしたダニエルが苦手な徒競走(220ヤード)で、メロディの面影を胸に頑張り、なんと1位でゴールを駆け抜け、XXXしてしまうシーン。
運動が苦手なダニエルが走って、走って、走りまくる姿は、ビー・ジーズの挿入曲「ラブ・サムバディ」の歌詞とシンクロし、メロディのことを片時も頭から離れないダニエルの気持ちがグッと伝わってくる。

「頭の中に君の面影が蘇る/僕の心は決まっているのに、なぜ君はわかってくれない/(中略)僕は男だ。それがわからないのかい/君を思って生きているんだ/(中略)君は知らない/誰かを愛するとはどういうことなのか」

そして、今回の再鑑賞で一番ハッとさせられたのが、二人の初めてのデートとなる墓地での会話だ。
この墓地のシーンで、メロディは目の前にある墓碑を読み上げる。
それは50年間共に寄り添い、仲睦まじい人生を歩んだのちに相次いで世を去ったある夫婦の墓碑である。

ダニエル「うんと愛していたんだ」
メロディ「50年ってどのくらい?」
ダニエル「休みを抜かして150学期だ」
メロディ「そんなに愛せる?無理よね」
ダニエル「出来るさ。もう一週間も君を愛してる」

初見時は、11歳にしてはマセた言い回しと、年月を学期で計算するダニエルにビックリさせられたが(笑)、改めて見直すと、「たった7日間」と「50年もの長い間」が同じくらいの長さに思える、子供特有の「時間感覚」に気づかされてしまう。

たしかに、毎日、同じように繰り返される仕事や家事に追われ、時間があっという間に過ぎていく大人に比べ、子供の1日は長い。学校に行けば知らないことや予想もしないことが必ず起きるし、何でもない日だって新しいことだらけ。外に出れば、初めて見たり知ったりすることがたくさんある。

そんな深緑の墓地でのデートシーンの劇伴として、二人の雰囲気・台詞にマッチした、ビー・ジーズの「若葉のころ」が流れてくる。

「僕らがまだ小さくてクリスマスツリーが大きかった頃/みんなが遊んでいる間 僕らは恋心を募らせた/でも僕らの淡い時は通り過ぎていく/僕たちの間に誰かが入り込んでしまった/(中略)今、僕らは大きくなりクリスマスツリーは小さく見える/君もあの頃を訊ねたりしない/でも君と僕、二人の愛は消して絶えることはない」

ビー・ジーズのギブ三兄弟の長男バリーが作ったこの曲は、時の流れの中で失われた幼い日の純粋な思いを愛おしむ歌だ。
しかし本作のシーンを重ねると、「二人が思いを寄せたあの時間は、もう戻らない」というネガティブな意味合いに聞こえてこない。
むしろ「だからこそ愛おしくも大切な今、この瞬間」、「誰にでも必ずある人生の中での一番輝いている時間」への讃歌のように聞こえてしまうのは、自分が、それなりに歳を取ってしまったからだろうか…(笑)。

本作を再見し、改めて気づかせられたことが他にもある。
それは、イギリス特有の階級社会、それがもたらす貧富の差。そして前例踏襲や横並び・権威への執着、世間体などにがんじがらめになった大人たちを、子供の視線で捉え、幾分カリカチュア化しつつも非常に現実的に描いている点だ。

本作「小さな恋のメロディ」の舞台となる、70年代のサウスロンドンは古くから労働者階級の人々が多く住む住宅地エリアで知られている。

ダニエルの母親はコンバーチブルの車に乗っていることからも、中流階級の裕福な家庭育ちに見えるが、リベラルなように振る舞いながらも、上昇意識が強く、下層階級の人々を見下すような発言や素ぶりをダニエルの前で平気でするし、高収入だけが取り柄の会計士のダンナが選んだ我が家に不満ダラダラで、一刻も早くサウスロンドンから引っ越したがっている。

一方、祖母と両親と暮らすアパートでの生活や、保釈中で仕事もせずに昼間からパブに入り浸る父親の描写などから、メロディの家は労働者階級だと伺える。但し、当時のイギリスがウイルソン首相による労働党内閣だったからか、メロディの両親は最低限の保障がある現状に安住しているように見えてしまう。
[注 : 本作撮影中に行われた総選挙で、大方の予想に反し、ウイルソン率いる労働党は敗退。上流階級出身者が多くを占める保守党に政権を明け渡すことになる]

そして、ダニエルとメロディ、トムたちが通うキリスト教系の公立学校。
イギリスの中学や高校といえば、上流階級の子供が通うイートンやウエストミンスターのような名門パブリック・スクールを思い浮かべるが、中流階級が通うグラマー・スクール、労働者階級のセカンダリーモダンの3つに分かれており、70年代初頭になると、戦後の教育制度改革の影響で、本作で描かれているように様々な階層の子供達が同じ学校(コンプリヘンシブスクール)に通うようになる。
そこには「身分差別」など殆どなく、生徒たちはのびのびと学び遊び、彼らの世界は生き生きとしていた。

そんな生徒に対して、教師たちは一見フレンドリーながらも実は威圧的で、生徒たちにはまったく尊敬されていないように見える。

例えば、歴史の授業でナポレオン戦争の英雄ウェリントン公爵の話をするシーン。
生徒が全く関心を示さないことを分かっていながら、慣例を重んじ淡々と授業を進め、トムが歴史的事実の理由を聞いても、教師は全く相手にしようとしない。

またラテン語の授業では、宿題を忘れたトムがその理由を問われ、「古代ローマ人と話すことなんてあり得ないのでラテン語は必要ない」と皮肉交じりに答えると、教師は伝統墨守の自分を馬鹿にされたと思い込み、マジギレする始末。

宗教学を教える神父でコチコチの石頭の校長に至っては、学校をサボってデートしたダニエルとメロディに向かって、「学業を疎かにすると、君たちの前の世代のようにバカになる!」と言い放つ。
ここでの「前の世代」とは、ダニエルの両親のようなモッズやスウィンギング・ロンドン世代。伝統制度など既成の価値観を否定した当時の若者たちのことを指している。

子供たちの汚れをしらない純粋で無垢な心ゆえの「何故?何故ダメなの?」という質問に、ルールに従って生きることを当たり前とする大人たちには、正しい反論など出来る訳が無い。

こういったシーンや台詞のやり取りを丁寧に積み重ねたからこそ、世の中を何も知らないとはいえあまりにも非現実的な言動、大人が作り上げた常識を全て吹っ飛ばすダニエルの「結婚します!」宣言を、観る側が心地よく、拍手喝采で受け入れてしまうのだ。


最後に…

冒頭のサウスロンドンを捉えた俯瞰ショットとラストのクレーンショット以外、極力、子供たちの目線の高さで「画」を切り取った撮影担当のピーター・サシツキーのカメラワーク、その素晴らしさは筆舌に尽くしがたいほどだし、以降、「ロッキー・ホラー・ショー(75年)」や「スター・ウォーズ/帝国の逆襲(80年)」、そして「戦慄の絆(88年)」「ヒストリー・オブ・バイオレンス(05年)」などクローネンバーグのお抱え撮影監督になるのも、納得の腕前だと今更ながら思う。

脚本は当時コピーライターだったアラン・パーカー。ビー・ジーズの楽曲7曲の権利を買ったプロデューサーのデヴィッド・パットナムから、曲を基に子供が主人公のラブストーリーの脚本執筆を依頼されるや、何カ月間も録音機材を携えてロンドンの学校に足繁く通い、子供たちの会話を録音してストーリーのアイデアにしたそうだ。

監督を務めたのは幼少期インドから移住したワリス・フセイン。異文化圏出身者の視点があったからこそ、イギリス特有の階級社会の辛い現実や苦い思春期を、ある種「子供の無垢な初恋物語」へと上手く変換できたのだと思う。



追補 :

本作「小さな恋のメロディ」は本国イギリスに先駆け、アメリカで1971年3月28日に公開。
イギリスはその1カ月後となる4月21日。

そして日本では同年6月26日にロードショー公開。
以降ファーストランが9月まで続くというロングランとなり、その2カ月後の11月には再上映が決定。同年の興行収入で2億円を記録し、年間洋画ランキング5位という大ヒット作となった。
(ちなみに1位は「ある愛の詩」、2位「エルビス・オン・ステージ」、3位「栄光のル・マン」と続く…)

ビー・ジーズの挿入曲「メロディ・フェア」は日本でのみシングルカットされ、オリコンの週間ランキング3位、年間では12位にチャートインし、洋楽としてはこの年最大のヒット。

また、公開翌年には、ダニエルを演じて人気に火がついたマーク・レスターが、小森のオバちゃまの小粋なナレーションが光る、森永製菓の「ハイクラウン」(=シガレット風パッケージのチョコレート)のCMに出演し、日本中の女子を虜にしてしまった…(笑)。

このように日本では一大ブームとなったわけだが、
本国イギリスでは全くヒットせず、アメリカでも成績はパッとしなかったと聞く。

その理由は一体なぜか…?

勝手な憶測だが、それはこの映画の持つ「反体制的な雰囲気」、主題となる「世代間の対立」が要因にあると思われる。

ダニエルとメロディが結婚式を挙げ、一緒にトロッコを漕いでXXXしていくラストは、アメリカン・ニュー・シネマの嚆矢、その1本とされる「卒業(67年)」のエンディング、ダスティン・ホフマン演じる主人公が花嫁を連れて教会を抜け出し、行き先不明のバスに乗り込むシーンに酷似している。

「卒業」の主人公に拳を上げて声援を送ったアメリカの観客の中心は、カウンターカルチャー世代=一般社会からドロップアウトした若者たちだ。

そんな彼らからしてみれば、「卒業」公開から4年も経った「小さな恋のメロディ」は二番煎じ、もしくは寓話的な「ジャリ版」に思えても不思議では無いし、その4年もの間には、ヒッピーコミューンの教祖チャールズ・マンソン一味によるシャロン・テート惨殺事件が起こり、反戦運動は功を奏さずベトナム戦争は混迷を極めるなど、カウンターカルチャーの敗北は間近に迫っていた。

同時期、公開された映画も、保守的な田舎のレッドネックに殺されて終わる「イージー・ライダー(69年)」や、憧れのフロリダ行きのバスの中で小便を漏らして死ぬ「真夜中のカーボーイ(69年)」、ダッジ・チャージャーでアメリカ大陸の半分を猛スピードで走り抜けた果てに爆死する「バニシング・ポイント(71年)」といった、「反逆者の敗北」で終わる作品ばかりだ…。

つまり、理想を喪失した当時のアメリカ人にとって、「小さな恋のメロディ」はもはや時代遅れ、古色蒼然な映画だったのではないだろうか。

本国イギリスも緊張の高まる北アイルランド情勢や、国内需要の停滞・高失業率など政治的・経済的危機状態で、サマー・オブ・ラブの熱狂はとうに色褪せていた。

当時の映画も、厳格な寄宿学校を舞台に伝統と権力に反抗する少年たちが主人公の「if もしも…(68年)」や、労働者階級の少年の生活を赤裸々に描いたケン・ローチの「ケス(69年)」といった、「小さな恋のメロディ」と同じように、主人公が「少年」で「パブリックスクール」や「階級社会」を背景とする作品が、数年前に続けて製作・上映され、共に高い評価を得ており、当時の英国人にしてみれば、本作に新鮮味が欠けていたのは正直なところだろう。

また、劇中終盤、結婚式あとの、力で押さえつけようとした揚げ句、子供たちに振り回されてしまう大人の醜態含め、全篇を通して、「大人たちの妥協と自己都合に浸りきった世界」を生々しく描き過ぎたことが、劇場に子供を連れてくる30代後半以上の客足を遠のかせた一因とも言われている…。

しかし、当時の日本は、国中が反体制運動の渦に巻き込まれていた時代。
公開前年は、まさに70年安保の年であり、7つ年上の従兄弟も当時小学生ながら密かに学生運動に憧れていたらしく、本作を自分に薦めた理由もなんとなくだが、納得できてしまう。

さらに、当時の学生街には旧作を2〜3本上映する名画座が必ずあったので、ミケランジェロ・アントニオーニの「砂丘(70年)」、コロンビア大学の学生闘争を描いた「いちご白書(70年)」など、気軽に映画館で観ながら、学生たちは血道を上げていたのかもしれない。

もちろん学生たちの動員だけでは、大ヒットにはならない。

そこで、一役買っていたと思われるのが配給したヘラルド映画の宣伝センス。

日本初公開時、新聞広告での惹句、その一節には、
「『卒業』のフィーリング、『ある愛の詩』の純粋さを吹っ飛ばすほどの新鮮さ」と書かれている。

さらに、公開当時のポスターやチラシには、
「美しい五月の雨がメロディの髪をぬらす…。 虹の向こうからあの美しい主題曲が聞こえてくる」
「結婚っていっしょにいることでしょ…
 やわらかい霧雨けむる墓地。ひとつのリンゴをわけあって、小さな、小さな心がふれあった」

本作の主題である「世代間の対立」「大人社会からの独立戦争」という面を巧妙に隠し、ひたすら爽やかに、瑞々しい初恋映画であることを強調しているのだ。

さらに付け加えれば、日本の戦後世代には、「憧れの西洋像」が未だあったからだろう。
ダニエルに扮したマーク・レスターの美しい巻き毛のブロンドヘアとブルーの瞳は言うに及ばず、当時の日本の子供たちがムサ苦しい学ランとセーラー服だったのに対し、ロンドンの下町の公立校の生徒たちは、男子はクラシックでトラッドなブレザースタイル。女子はギンガムよりやや大きめに見えるチェック素材のワンピース。しかも、個人で選べるのか、ブルー、グリーン、レッド、ピーチ色など色分けしているのが洒落ていて、日本の中高生には眩しくもあり、羨ましく思えたとしても当然だろう。


この異常な大ヒットにより、プロデューサーのデヴィット・パットナムは日本に招待され、上映中の劇場を見て回ったそうだ。立ち見満員でギュウギュウ詰めの館内を目の当たりにして、パットナムは号泣したらしい…(いい話だなぁ、笑)。