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日本暴力列島 京阪神殺しの軍団のblacknessfallのレビュー・感想・評価

3.4
実際にあった組、柳川組とその組員達がモデル。
柳川組は山口組の全国制覇の最前線に常に配置される最強の暴力装置として内外から怖れられてたそうな。

タイトルに殺しの軍団と入ってるし、"300"のスパルタの戦士達みたいなイカれた戦闘集団なのかと思いきや、実態は全然違った。

この柳川組(映画では花木組)は在日朝鮮人で主に構成されてる組で、組長の花木(小林旭)は組を興す前から愚連隊のリーダーとしてその度量と広さと「一度引いたら負け」をポリシーにどんな相手にも正面から喧嘩する姿勢で界隈のカリスマになっていた。

花木のこの「引いたら負け」の姿勢は在日の置かれた立場、どこにも居場所がない捨てられた者としての実感から来てる。
力(暴力)しか自分を守ってくれる物はない。国(日本)は敗戦と同時に宗主国の責任を放棄し自分達を見離した。

花木のくそ度胸の裏には深い絶望がある。
意識的にも無意識にもそこに共感する在日の活きいい若者が集まり花木組はグングンその知名度と存在感を増していく。

そして、全国制覇を目指す天誠会の傘下になり、その尖兵として全国各地で抗争を繰り広げていく。

オーソドックスな成り上がりギャンクスター映画の構造なんで花木と参謀である同じく在日の金光(梅宮辰夫)が小さな愚連隊から組を作り、やがて大きな組の傘下になり、イケイケで各地を制圧していくのは気分が高揚した。
特にこの映画だと小林旭の東映カラーから外れたノーブルさが泥臭さを消臭してて、本当にいい感じ笑

そんな感じでイケイケで栄光掴むかと思われた花木組だけど、取ったら自分達のシマにしていいと言われた岐阜を制圧しかかってたのに、天誠会と相手組織の政治決着で抗争は手打ちで終わり、約束も反故にされる。
暴力装置と言っても、巨大組織の天誠会に弓を引いて勝ち目はないし、今さら引き返す道もないので、花木は初めてポリシーに反する「引き」を選択する。

しかし、参謀の金光はそれを拒絶し、花木に激しく問いただす。
「引いてたら負けと言ったのは自分じゃないか!」と
「それにお前(花木)の父は国から無理やり連れてこられ働かされたあげく、殺されたじゃないか」
「自分達(在日)みたいな者は引いたら使い捨てられるだけじゃないか!」と

このシーンの梅宮さんの迫力は神がかっていた。何か在日の人達の苦渋と怒りが憑依して、当時そんな思いで亡くなっていった人達の叫びがまんま梅宮さんを媒体に出てきたような鮮烈さがあった。
誇張やアレンジはあるとは言え、実録だし、この在日の人達の悲痛な思いに嘘はないのだろうと思う。
花木組が決して引くことをしないのは、戻る場所も安住の地もない哀しさからだと気づき苦さが込み上げてくる。

手打ちを最後まで拒んだ金光は天誠会に暗殺される。
盟友を失い、全てに絶望した花木が天誠会に反旗を翻すところで映画は終る。
「即日、彼は天誠会を破門された。」「しかし、元より彼は最初から全てに破門されていたのである。」
ナレーションが正鵠を射すぎて重い余韻に襲われた。

戦後の在日の人達の悲惨な歴史の一端が垣間見れて意義深く、しかも小林旭さんと梅宮辰夫さんの冴えた演技も堪能できるんだけど、映画全体としてはイマチチな出来だった。
原因は監督の山下耕作さんなんだよ。
この監督は得意なのが昔ながらの泣ける任侠映画で、本人も「任侠にこだわっていきたい」と言ってる。
だけに、この映画みたいに任侠の名の下に強者にマイノリティが都合よく使い倒される話に感性が合ってないんだよ笑
実際、不必要な愁嘆場や実録に相応しくないベタな演出がちょいちょい出てきてアンバランスだった笑
テンポ感も"仁義なき戦い"より後なのに遅い。
実録モノ以前のメソッドなんだよね、全てにおいて笑
監督自身が信じたい美徳を否定する作品を撮ってる感じの切れの悪さがある気がしたね笑

深作欣二監督が撮ってたら大傑作になってたのかも笑
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