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アウトローブルースのmasatのレビュー・感想・評価

アウトローブルース(1977年製作の映画)
3.1
やったね!ピーター・フォンダ、
やっと出来たね。

74年以降、
爆死しなくてはいられない病と、
作家性に恵まれない病で、
アメリカン・ニューシネマの呪いを一身に背負い、その呪縛から逃れられない彼は、遅ればせながら、76年から成熟、いや成長の兆しを見せ始める。

その『怒りの山河』(76)では、見事な手腕の作家性に助けられ、ラストカット、俯きながら、ほくそ笑むのだ。
更に、自作『未来世界』(76)では、不信なるアメリカの世相を反映した“陰謀未来世界”の中で、その支配者の鼻を明かし、見事な笑顔のガッツポーズをラストに見せるのだ。
もう彼は、ラストで死なない、のである。

そして本作では、どん詰まりの底辺から一転、逃げながら人々に“幸せ”を振り撒く逃亡犯シンガー、まさにアウトローを演じる。
逃亡者でありながら、逃げれば逃げるほどレコードはヒットチャートを爆進し、その過程で、悪い奴ら、カッコつけているだけの権力者の欺瞞が暴かれる。なぜか逃亡犯なのにヒーロー。ベトナム戦争が終結し、まだその傷も生々しく、さらに大統領辞任の“不信”に包まれているアメリカにあって、これぞアメリカン・ドリームではないか!

アウトローを応援せずにはいられない大衆のその心理が、画面から溢れ出す。その声援を背に、長く続く道を逃亡し、パトカーを蹴散らし、“アウトローブルース”を歌いまくる、我らがピーター・フォンダのこの高揚感。彼の武器である“カーチェイス”と、アメリカン・ニューシネマの武器である“道へ出て走る!”と言うガジェットを、今までとは違って、見事に逆手に取って、あの道、あのアクション、あの逃亡の先の死ではない、ワンアップした姿を見せつけてくれるのである。しかも、自前の歌声まで撃ちまくる。

何という多幸感だろうか。
ピーター・フォンダが追い求めた世界、そして自身のこれまでの人生とこれまでの映画が、遂に一体となった様な瞬間があった。映画は、その人そのものの人生を反映する、感情の生き物なのであると言う事を再確認する。

そんな彼の猛る威力に反する“演出力とカメラ”は、足を引っ張っているが、まあ、それもご愛嬌と許す気になる。

しかし・・・ここを頂点として、冴えない作品がゾロゾロ続き、極東の国ジパングでトドメが刺される。ソダーバーグやジョン・カーペンター、ニコラス・ケイジが救援に駆け付けるのはまだまだ先なのであった。
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