大道幸之丞

シルビアのいる街での大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

シルビアのいる街で(2007年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

フレーズをつけるとすると「それは“恋”だった」という感じか。

以前から知人に勧められており、やっと鑑賞。DVDを購入。

これは斬新な傑作だと思う。余計なデティールを削いだ恋愛映画の革命とも言える。

わざわざフランスの古都ストラスブールへやってきた「彼」は演劇学校前のカフェに陣取る。ひたすらビールを飲みながら、客の所作を眺めている。自身の手元にはノートがあり、思いつくままの文やデッサンのようなものを描いている。我々への謎解きヒントなのかもしれない。

ここまでは「何をしたいんだ?彼は?」と思ってしまう。

まもなく意中の相手をみつけたのか慌てて跡をつける。
早いタイミングで後ろから名を呼ぶが反応がない。彼女は彼女で、歩く歩く。
一度見失ったが。路面電車に乗る寸前で再び見つける。電車内でやっと話しかけるが、彼女の名は「シルビア」ではないし「彼」にも面識がないと言われる。

さらには跡をつけられている事は早々と気づき捲くために足早にいろんな経路を歩いた事、要するに彼女から強く非難される。

こちらの視点としては、演劇学校に通ってると聞いているので「とぼける芝居か?」と一縷の望みを抱くが、そうではないらしい。そもそもこの町に来たのは1年前だとも言う。

そして「彼」は彼で、シルビアとは6年前にストラスブールでシルビアとその友達3人で楽しくカフェで過ごした。それだけの関係だとわかる。その場で通っている学校への地図をナプキンに描いてくれさえもした(それを頼みにあのカフェに陣取って待ち構えていたのだ)

——つまり「彼」はその時のシルビアを忘れることが出来ず、今回再会だけを願ってやってきたのだった。

他のレビューを見ると「昔恋人同士だった」かのように錯覚している者多いが、単にカフェで楽しいひと時を、しかも彼女の友人も交えて過ごした──それだけに過ぎない。だからいいのだ。

「次の駅で降りるけど、ついて来ないでね」と釘を刺し彼女は電車から降りる。「彼」は追わない。

翌日さっさと帰るものかと思いきや「彼」は今度はバーで来客を眺めている。「真実」や彼が求めるものはもはや我々にわからないまま——

ただしなぜか確信があるのは「間違いなくあれは“恋”だった」という余韻だ。

——本作は結論を急がない。観たものにその結論は委ねられているように。
私には一生忘れることの出来ない作品のひとつになった。