暮色涼風

シルビアのいる街での暮色涼風のネタバレレビュー・内容・結末

シルビアのいる街で(2007年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

冒頭で、ダブルベッドの上で胡坐をかいて、ノートと鉛筆を持ったまま虚空を見つめ何かを考えているだけの男を、これでもかというくらいの長回しで見せられて、しかしそこには魅力があり、こいつはとんでもない変態映画だと身構えて観始めた。
後々分かることだが、ダブルベッドなのに彼は独りで、ノートは無罫のもので"シルビアのいる街"の人々が描かれていく。

この映画で発せられる人物の言葉はほとんどが日常的な深い意味のない会話かガヤで、本筋と関係のある台詞が発せられるのは、主人公が人違いで「シルビア」と呼んでからのほんの数分だけ。それでも物語に引き込まれて観れるのがすごい。
それから、黒澤映画のように、フレーム一枚一枚が写真のよう。どのフレームを切り取って現像しても、飾っておきたいものになる。

街中の人々を観察する主人公はいつも、人物越しに人物を見ていて、その観察対象と自分の間にいる人物までも眼中の外の存在というわけではないようで、ノートに観察対象の人物と一緒に重ねて描いていく。
オープンカフェで、何やら会話をしている他人の奥の方でもまた、何やら会話をしている他人がいて、それが重なって見える主人公の主観では、手前と奥にいる他人同士がまるで会話をしているように見える。それらもノートに描いていく。

主人公は、街中の人々をめちゃめちゃ見つめる。普通なら見られている方はぎこちない気分になってしまうほど見つめる。いや、実際そんな気分になっているのだろう。見つめられているのを気付いているが、知らん顔をしている街中の人々。シルビアと間違えられた人も例外ではなく、主人公にストーキングされるその美人な女性は、気付いてないフリをして主人公を巻こうとした。他人を長いこと見つめるし、ストーカーだし、主人公がイケメンじゃなかったら相当気色悪い。

街中の人々は、主人公と一緒になって見つめてみると、みんなどこか変わったユニークな人ばかり。太っているのに乞食の人。杖をついている若い男。飲んだくれのビンに囲まれたおばさん。顔に傷があり片目がつぶれた女性をみて、シルビアだったらどうしようと思う。

この映画は今の日本では作れないものだったと思う。日本の街中を見ても、ケータイをいじっているだけの人ばかり。しかしこの映画の街中の人々は、何もしていない時もゆったりとした時間をもっていて、歩くのもゆっくり。仕事に急ぐ早足の人は一人も出てこない。このまったりした世界に住みたい。

主人公たちの動力となるきっかけの相手が出てこない映画は好きだな。観終わったあとに何回も観返したくなった。もし自分が喫茶店を開いたら、この映画を垂れ流しにしておきたい。
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