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シルビアのいる街でのysmのレビュー・感想・評価

シルビアのいる街で(2007年製作の映画)
5.0
3回目
スケッチブックが風に吹かれ、その数ページが瞬時に画面左に開かれていく。そこでカットが割られ、同じように髪を左側に靡かせる女性の後ろ姿へと移る。紙と髪、そして紙上のスケッチは、イメージのリテラルな形態とともに意味論的な韻をそれぞれで踏み返し合う。素描やウィンドウの鏡像を含めた諸イメージが踏み合う韻のこの音響的な多重奏は、そのまま街路に消えて行くシルビアの識別不可能性でもある。再認のような誤認は、そのつど瞬時に誤認のような再認となって結晶化する。イマジナリーラインの侵犯が相互前提させる視線の絶え間ない襞。すると「彼女たち=elles」としか言いようがないシルビアが、そこに現前する。

「触知しえない未知の論理によって同一性の新しい原理に変貌した矛盾を、容認することなく強制すること…. 表と裏、夜と昼——というよりも、蝶番のように、表と夜、裏と昼、そのどちらでもなく、しかも同時にその両者であるもの」(フィリップ・ソレルス『公園』)
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