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バトル・ロワイアルのrensaurusのレビュー・感想・評価

バトル・ロワイアル(2000年製作の映画)
4.6
逃れられない新自由主義、実力主義、資本主義の社会構造が教育現場を圧迫し続けることを縮図のように表した作品。殺伐とした光景を見つめると、悲しみの奥にどうしようもない空虚さがあるように感じる。

エヴァよろしくクラシックで手際良く舞台を整理し、主人公周辺の人間関係を自然に紹介したのち、キタノの「殺し合って貰います」でBRが始まる。この導入部分。主に教室のシーンで一気に緊迫感を掻き立てられ、映画の世界に引き込んでくれる。

平和な日常が、ある日突然崩れ去り、隣に居る友達が全員敵になり得るという恐怖感が、意識的にか無意識的にか多くの共感を呼んだのは凄いことだなと改めて思う。しかも今日に至っても、むしろその実感が強まっているという時代背景もあり、今なお面白い。

殺し合いに乗る人乗らない人、行動に出る人出ない人、前乗りの人引き気味の人がいるのも勿論自由で、それぞれの人間性が顕著に出て来る。殺し合い大喜利であらゆる「個」を描くのが上手い。

千草(栗山千明)は、自分の正義がしっかりしていて、なおかつ状況を正しく判断できるキャラクターとして少ない分数でかなりの存在感があった。言い寄って来る男子に顔を傷付けられてブチギレるシーンが最高。その後の死に様も良い。

光子(柴咲コウ)は、人を信用するという選択肢がまず持てず、殺戮することで生の実感を得ようとする猟奇さがインパクト抜群だった。「奪う側になりたかっただけ…」が悲しすぎる。

桐山(安藤政信)は、完全に心がぶっ壊れていて、何の意味もなくただ殺すことに依存しているような、空虚な存在だった。だけど、ただ強い。止める理由がないから。

川田(山本太郎)は、現実を生きる力と、愛に生きる心を持った人物像で、ラストまで生き抜くことへの説得力があった。

七原と中川の二人は、善い存在であろうとするからこそ主体性を持てず、片や大人に不信感を持ち、片や大人に同情するという、真っ当な心の有りようを保っていた。

灯台のシーンは、猜疑心の怖さ、表面的な一体感の脆さなどが表れた秀逸なシーンだった。

三村(塚本高史)のグループは、科学的で計画的な反抗が、何の意見も持たない空虚な桐山に阻害されるという胸糞さがあった。

そして、キタノ(ビートたけし)。子供を人として見ていない。「価値のある大人になりましょう」やら、「お前らのせいでこうなった」やら、自分の憎しみや空虚感を、権力を笠に着て子供にぶつけることしか出来ない人間。行き着く先は、「中川は自分を理解してくれる」という虚しい幻想だ。弱くて優しい中川には受け止めてくれる心があるからこそ、彼女に全てを押し付けようとする。それを受け入れてしまったら最後、キタノのように空虚な人間になってしまうだけだ。

エンドのナイフを持って逃亡するラストも意味ありげで、「私たちは常にこういった空虚な人間に自分(の心)を殺されぬよう、自分を守って生きていかなくてはならない」というようなメッセージだと感じる。

映画として良くまとまっていて、テンポが良く、メッセージ性と時代性もあり、エンタメとしても完成度の高い傑作だと思います。
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