YasujiOshiba

バトル・ロワイアルのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

バトル・ロワイアル(2000年製作の映画)
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20世紀最後の傑作に、ようやくキャッチアップ。

「今見ても十分に通用する」なんていう甘っちょろいものじゃない。「今、この映画を見ないでどうする?」という先鋭的な同時代性を持つ。日本だけではない。世界中が今、まるで『バトル・ロワイアル』のパラレルワールドに突入しているかのようではないか。

確認しておくべきは、この映画がまだニューヨークにツインタワーがそびえていたころの映画であり、アルカイーダ、アイシスも、その恐ろしいテロを行う前のものということ。

たしかに日本では、すでに地下鉄サリン事件や阪神大震災は起こっていた。けれども、東日本大震災はまだ先のことであり、津波の破壊力も原発事故の見えない汚染も、まだそのおぞましい姿を現してはいないときのものなのだ。

それなのに、この2000年の作品は、今の僕たちが目の当たりしている家族の、学校の、社会の、そして国家の行き詰まりを、まるで知っていたかのように描いてはいないだろうか。

もちろんそれは予言ではない。深作欣二がこの映画を撮ったのは過去への反省からだ。『仁義なき戦い』が原爆投下と敗戦から出発したのだとすれば、この映画の背後には、深作自身が中学のとき軍需工場で働かされていたときの思い出がある。

「米軍の艦砲射撃により友人が犠牲になり、散乱した死体の一部をかき集めていた際に生じた〈国家への不信〉や〈大人への憎しみ〉が人格形成の根底にあった」( Wikipedia.jp)というのである。

それが深作監督の遺作となったこの作品。われらが巨匠が過去への反省から現代を描こうとしたものなのだけど、思いがけず、未来のぼくたちへの強烈なメッセージになっている。ぼくはそこに驚いたのだ。

でもよく考えてみれば驚くべきことでもない。古典と呼ばれる作品は、そうやっていつまでも、未来の世代が掘りかえすべきメッセージを内包しているもの。

そうなのだ。ここにあるのは日本映画の古典的名作なのだ。そういっても、決して誇張ではないと思う。
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