神様の言う通りやリアル鬼ごっこ等大氾濫したデスゲーム系コンテンツの先駆者。
細かいが、生理やトイレ、食事、化粧を含めた人間生活が描かれているのが他のデスゲームコンテンツと一線画している。
少々泣かせようとする演出や邦画にありがちな唐突な自分語りが目についたが後半は怒涛の展開。
それぞれあっけなく死が訪れる。
主人公の英雄的な展開や黒幕を破る王道展開は意図的に避けられている演出がとても面白かった。
背景には榊原酒呑童子事件の影響を強く感じさせる。
戦後すぐの時代から映画を作り続けてきた深作欣二にとって、テレビゲームや電脳空間の登場はどう映ったのだろうか?
映画を観る人らに対してどういう言葉をかければいいか?と自問自答が垣間見える。
良くも悪くもぶん殴ることによって子どもと会話していた古い大人。
それは次第に出来なくなる。
そして本音を大人にぶつけられなくなる子ども。
子供と大人互いにコミュニケーション手段を失ったとき、大人は恐怖を感じ、子供を殺し合いのデスゲームに監禁してしまう。
戦中派の深作さんが今の子どもを理解できなくとも、
臨死体験はいつの時代も同じだ!ということなのだろうか?
それでも大人は「頑張れ」としか言えない。
教師の北野武は困惑気味にこう語る。
「なあ、こういうとき大人は子供になんて言ってやればいいんだ?」
大人は路頭に迷う。自信喪失。
失われた20年真っ只中の世相を反映してか?子供も迷う。
最後はそれでも「走れ!」と作品はメッセージを送る。
そうだよな。
ただひたすらに走るしかないよな。
走るんだ。自信失ってる場合じゃねえ!