クリスマスのお話。
ちなみにロマンチックでもキラキラでもない平凡なクリスマス。
この不思議な魅力を文章にするのは正直難しい、、
毎朝8時のオーギーの定点カメラ、煙草屋とその常連客、画角に収まる景色と人。
この作品の軸となるのは「嘘」なのだけど、だれもその嘘を追求したり真実を探るような野暮なことはしません。
たぶん登場人物みんなが何かを抱えていて痛みを知っているからこそ、あえて踏み込まないし、お互いがそのままを信じようとする優しさを持っているのだと思う。
優しい嘘とあえて真実を追求しない優しさ。すごく心地よい空間。
建前抜きの「本音」を正直に言うことにこそ価値があると考える人は思いの他多いけど、単なる自己主張の「本音」でなくて、自分を守るための「嘘」でなくて、自分をよく見せるための「建前」でもなくて、それが全部優しさなら何でもいいんじゃない?そんな風にも思える作品。
人の痛みや誰かを失った喪失感にこんな風に寄り添える人間は素敵。
見映えするエピソードはないんだけど、煙のようにうっすらといつまでも残るような余韻がある。
ハーヴェイ・カイテルが最後に語るクリスマス ストーリーは素敵だったなあ。
不覚にも久々に泣いてしまった。。
あれは嘘なのか真実なのか。まあ、そんなことはどっちでもいいのか、、
本当に大切なものは煙のようなもの?
分かりやすいものでなくて、ぼんやりと、ともすれば消え入りそうな優しさにこそ気付ける自分でありたいなあ。
もっともっと歳をとってからもう一度見直したい作品。沁みた。