タンシロ

ダークナイトのタンシロのレビュー・感想・評価

ダークナイト(2008年製作の映画)
4.1
クリストファー・ノーラン監督やっべえ!と6回繰り返し叫びたくなる作品。ダークナイト は「正義」対「悪」の構造ではなく、正義と悪は表裏一体として、(正義・悪)対(モラル)の構造になってた気がする。
社会が成熟し、正義も悪もない時代になると、主義・思想が暴発してくる。それを止めうるのは各個々にあるモラルの結集でしかない。
構図の観点で観ると面白い作品でした。

とくにコインの表・裏に現れているような物事の表裏一体の関係をメタファーとして色んなところに散りばめていたのがすごくノーラン監督っぽくて見応えがあった。これはトゥーフェイスを大きな見せ場に持っくる題材として扱った作品だから用いたギミックなのだろうか?
コインの表と裏の関係には、それぞれの立場の人間の「建前と本音」が隠されていたように思う。レイチェルのブルースに対する気持ちだってそう、ブルースのバットマンに対する姿勢だってそう。頭ではどうしたいかがわかっていても、身体が許さない、社会がゆるさない、周りの人が許さない、そして自分の気持ちが許さなくなる。そういう哲学とも言えるしがらみの中で人々はモラルを醸成し、したたかに生き抜こうとしている。そんなしがらみを断ち切り、人々の建前の裏をことごとく突いて突いて突きまくって、潰しにかかるのがジョーカー。純粋で尖りきった「悪」を貫いているのにもかかわらず、この映画を観た人たちはジョーカーに一抹の好感を持ってしまうのは、おそらく彼が、皆が思い悩むしがらみを断ち切るために純粋に尖り続けられるところに憧れるからではないか?
金や名声といった資本主義の堕落者ではなく、自身のイデオロギーを持ったブレない悪。彼のコインにはきっと「裏≒本音」しかないのかもしれない。
対する検事役のハービー・デント、彼は作中でもあったように、「表」しかないコインを携帯していた。揺るがない信念と正義感、そして自信。彼のようなブレない気持ちは、意外とあっさりとコインを裏返すように、その価値や硬質を失うことなく全く別の形相を表してしまった。純粋に尖っているという点ではジョーカーの正反対とも言えるが、様相は酷似している。対極する2つの「悪≒正義感」の狭間で揺れ動くバットマンの苦心にはどちらかといえばやきもきさせられ、社会のヒーローという立場とモチベーションの限界を感じさせる。
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