飯

子供たちの王様の飯のレビュー・感想・評価

子供たちの王様(1987年製作の映画)
4.8
阿城の原作、
(個人的に《棋王》>《树王》>《孩子王》)
顧長衛のカメラワーク、
(遠写、固定ショット、霧景、窓枠、鏡像の構図、動悸感)
陳凱歌早期の哲学思想と中国第五世代監督の理想主義。

侯孝賢映画の遠写とまた違う。ここの人物は風景に呑み込まれ、静止で受動的。山水画と似たような表現手法。

時計のない山の奥では、空間が時間に勝つ。
「鉄小屋」は中華文化の安定構造であり、安定すぎて、啓蒙主義がすぐここで潰れる。
「从前有座山」という叙事の罠。
“昔ある山に、お寺があった。そこの和尚が話をした。”“どんな話?”
“昔ある山に、お寺があった。そこの和尚が話をした。””どんな話?”
“昔ある山に、お寺があった。そこの和尚が話をした。””どんな話?”
上は牛、下は水という存在しない漢字が教えられ続けていた。
歴史の重複。

文化大革命という背景の下で農村部教育問題を描いたが、実際に着目したのは生命と文化の対立である。
無声の生命: 野火、雲、牛飼いの子供、牛の群れ。
有声の文化: 写字、唱歌、読書。

中国人はむかしから空想の教育と変革の輪廻に苦しめられている。陳凱歌の希望は最後の燃焼に注いだ。山頭枯木になるか、鳳凰涅槃になるか、放火してみないと。
飯