雨虎

ボビー・フィッシャーを探しての雨虎のネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

主人公であるジョシュがボビー・フィッシャーについて何度か紹介するシーンがある。物語の冒頭から紹介が入り、ボビー・フィッシャーを探しているのは誰なのかを考えた時、真っ先にジョシュだと思った。
ホームレスなどが公園でチェスをしているのに興味を持ち、その才能を開花させるジョシュを大人たちはボビー・フィッシャーの再来だと褒め称えた。父親のフレッドはそれで英才教育をして成功し、ジョシュは子供大会でも優勝するようになるものの、フレッドは徐々にチェスを強要するような教育をするようになってしまい、ジョシュはそんな父親の期待に応えようと努力するも、押しつぶされてしまう。
つまり、ボビー・フィッシャーを探していたのは、子がボビー・フィッシャーを目指して頑張っているという例えではなく、親が子にボビー・フィッシャーを目標にさせているという意味だったと気づいた時はバツが悪い気持ちになった。そういう意味ではとても良い邦題だ。
子供を教育する際に、ついフレッドようなやり方をとってしまった親も多いのではないかと思う。おそらく子供を持ったとしたら、同じようなことをしていたとも思った。
そういった気付きを与えてくれ、最後にはとてもあたたかい気持ちになることができた。
また、フレッドとジョシュのやり取りが多いものの、特に印象的なのは母親ボニーの距離感だ。子供の頃にボニーのような態度の母親がいれば、どんなに心強く安心できると感じただろうか。また、フレッドの暴走にも衝突を恐れずに止め、不安そうにしれいれば支える。素晴らしい母親像だ。
そして、家族以外ではヴィニーがチェスの面白さ、好きにさせるという教育で、チェスのコーチのブルースが理論的で強いチェスを教える。この対極的な教育が見せられているのも面白かった。

この作品は実話をもとにして製作されている。等身大のように見えるこの作品は親となることがあれば、もう一度見てみたい作品だ。
雨虎

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