shunsuke

サムライのshunsukeのレビュー・感想・評価

サムライ(1967年製作の映画)
4.8
4回鑑賞したが、未だにラストのジェフ・コステロ(アラン・ドロン)の行動の意味が判然としない。しかしそれでいいのだと思う。
監督のジャン=ピエール・メルヴィルは敢えてラストの意味を明らかにしないために、コステロと敵の殺し屋の間の2つ目の契約の内容を映像から取り除いている(ピアニストを殺すために報酬を受け取ったと思われる台詞があるが、何故敵の殺し屋がそのような契約を結んだのかという理由については不分明なので、コステロがピアニストを殺す契約だった、というのも推測の域を出ない)。
意味を曖昧にした映像は、それだけ登場人物のアクションを鮮烈に際立たせる。見る者をまさしく「見る」「聞く」という映画の純粋な体験へと誘う。
つまるところ、コステロの、ナイトクラブの車の中で寂しげにピストルの弾倉を確かめる姿や、ナイトクラブでゆったりと死の淵へと立とうとするそのゆったりとした所作から伺える異常なほどの落ち着き。そうしたところだけを見ればいいのだ、と。
そしてそうした所作の一つ一つが「ジェフ・コステロ」という一人の謎を秘めた殺し屋の人物像を浮かび上がらせていく。「行為の総和」こそが、その人物の人生でもあるのだ。
映像が積み重なり、それを感受する観客がいて、初めてそこに一人の人間の様態が姿を現していく。

つまり、映画にしか出来ないことをやってのけているのだと思う。
ただ目の前で起こっていることに感性を研ぎ澄ませること、それが映画的体験だと思うし、「意味」は後からついてくる。それでいいのだ、と。

加えて言うならば、メルヴィルが構築した渋く鈍い青を貴重とした映像世界は、この一人の孤独な殺し屋の人物像を表すのに効果的だった。
とりわけ冒頭のシーンは素晴らしい。
画面から放たれる色のくすみや音の妙な明瞭さ、途中でカメラが揺れるアンバランス、全てが男の孤独・不安定さにマッチしている。死にふれていきそうな男を、薄暗い部屋の中の煙草の灯りがぎりぎり生へとつなぎとめている。
またコステロとピアニストの視線の切り返しの場面での、コステロの目は、どこか寂しさと死の予感が漂うどんよりとしたブルーの世界の中で、どこか輝きを放っていた。
そうした意味でこの映画は「暗闇の中の光」を描いた映画だったのかも知れない。
警察とギャングの狭間で揺れ、女をうまく愛せない孤独で不器用な男が、「ほとんどぼろぼろの生」の危機を遂に脱することを諦め、死を確信的に選ぶことによって「自らの生・感情」を、想いを密かに寄せている人物の心に深く刻み付けることを選択する。
そうしたことを描いた映画なのではないかと、そう思う。
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