タンシロ

ベルリン・天使の詩のタンシロのレビュー・感想・評価

ベルリン・天使の詩(1987年製作の映画)
4.0
抽象的な映画だった。こんな作品も楽しめる年になったんだなとしみじみ。
天使は天上から人々を見ているイメージだけど、この映画の天使は高いところから見下ろすにとどまらず、図書館にたむろし、人の目線の近くまで下りてきては、人々の内なる声に耳を傾ける。

どんな感情をもって人々の声に寄り添っているのだろう?
そこのところが最初のうちは今ひとつ理解できないけれど、時間が経つうちに何となく感じ取ることができるようになってくる。

映画全体としてどんよりとした雰囲気の中に、詩のような台詞が足され、人々がベルリンの戦後の傷を悼む空気感が、ベルリンの風景の描写に絶妙に溶け込んでいる。天使たちも人々の痛みに同じ目線で寄り添っていく。

繰り返されるのは歴史というキーワード。

きっと天使には歴史がないのだろう。
それはきっと不死だからなのか。限りある生命で生活を営む人や鳥、その風景や世界に慕情を募らせる様をみていると、どことなく天使に同情する気持ちすら湧いてくる。

ひとりの天使が、あるときサーカスのテント小屋に入る。おそらくこれまで高いところからしか人々の営みを見ていなかった天使だ。
テント小屋の中のひとりの女性に少しずつ惹かれていく様は、世界の歴史の移り変わりから、人の営み、そして人の心の営みにまで慕情を狭めていった過程を経ているのかもしれない。


高いところから永遠に長い時間から見下ろす生命と、短く儚く限られた時間の生命には色彩が開かれるほどの隔絶がある。
長い歴史からみると人ひとりの歴史は短く儚いものだが、その人の人生の中に入り込むと人生は長さではなく、色をもった深みだと知ることができる。

天使が堕天使となり、人間として生きるようになった時の描写はなんとも快感である。視界と匂いと重力がいっきに感じられるような、本当に映像を観て、生きた心地がするのだ。天使だった男の表情も晴れやかで、色のある世界に興奮している様がすごく無邪気で可愛い。
この無邪気さがどこか懐かしいと感じるのは、同時にきっと、繰り返し使われている詞である「子どもが子どもだった頃〜」の意味が、この瞬間に天から下りてくるように附に落ちるからだと思う。
誰しも子どもの頃の思い出というのは、おそらくカラーで思い出される。そこには匂いがあり、重みがあり、痛みがある。ふと思い出されたときは瞬間ではなくストーリーであり、その瞬間が動いている映像であり、懐かしい気持ちと同時に無邪気で嬉しい記憶が蘇る。だからこの映画の、天使が人間になったときの描写はその彩りと躍動感に心が温まり小躍りしてしまう感覚に陥る。

極めつけは最後のシーンだろう。胸に刺さるものがある。
ニヤニヤが止まらないというのもあるけれど、それ以上に女の言葉がささるのだ。
誰かといっしょになれた時、その時はじめて、これまでの寂しさが肯定されるのだ。虚しい寂しさではなく、必要な寂しさであったと。そして男と女がいっしょになるということは、人と人が溶け合うことで生じる迷宮をさまよい、出会うものすべてを受け入れるということ。生半可な決意で決断はできない。これから二人の歴史を紡ぐのだから。
タンシロ

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