海

ベルリン・天使の詩の海のレビュー・感想・評価

ベルリン・天使の詩(1987年製作の映画)
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わたしはこどもだったころ、本当に多くのものを見ていた。チューリップの花の中にクリップを隠した妖精、絆創膏の上で眠っていた仔猫、バス停に立っている青いワンピースを着たおばあさん、教室の掃除道具入れの前には大きな箱がいつもあって、障子にあいた穴からはそこにはないはずの景色が見えた、会ったこともない死んだおばあちゃんはいつもわたしの背中を見ててくれてると信じてた、ときどき遊びに行っていた近所のお兄ちゃんの家の、お母さんの足の指には、いつも白と虹色にゆらめく光が乗っていて、わたしはあれを小さな、わたしよりも小さな何かの、魂だと思っていた。風邪をひいた日には、かならず同じ夢を見ていて、白い花をわたしは胸に抱いて守り続けていた。これらは、物心ついた時から絵本や映画や怪談話が好きだったわたしの想像力が生み出していたものなのかもしれないし、あるいは、本当にそこに居たものたちなのかもしれない。歳を重ねるにつれ見えなくなったけれど、ときどき、風のなかや、細い路地や、映画や詩のなか、冷えた手に、あのときと同じ不思議な感じを、おぼえるときがある。温度や気配がするのとは少し違う、時間が止まってしまったみたいに、その空間だけがわたしを呼んでいる気がするときがある。

風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしはシーツをかける

これは、わたしの好きな歌人の一人、笹井宏之さんが、第二歌集『てんとろり』にて詠まれた短歌だ。ひとびとの悲しみや不幸に寄り添うベルリンの天使たちを見つめながら、わたしは、笹井さんの短歌をいくつも思い出していた。わたしたちはものごとの色のついた部分を見て、うつくしいとか、もう少しこうとか、思ったり言葉にしたりする。このひとの短歌は、もっとその奥をみているみたいに、色がなく、とうめいで、悲しくて、優しい。よんでいると、海の波打ち際に居るような気持ちになる。彼の歌もまた、天使の詩なのだとわたしは思う。 ブルーノ・ガンツも、笹井宏之も、いまでは天使になってしまった。目にしみて、仕方なかった。この世は、うつくしかった。それはこの世を見守り愛する天使たちが、たしかにここに居るからだった。

「海ちゃんはおばけが怖くないの?お友達が、こわがるよ。」と言われたとき、「じゃあ、こわくなかったら、おばけやないの?」と、聞き返したのを、おぼえてる。でも先生がそれに何て答えたかはおぼえてなくて、ほんとうは、ほんとうにこんな会話をしたかどうかも、定かじゃない。 わたしはこどもだったころ、幽霊もおばけも怖くなかった。かれらは死んだあとの魂で、生まれるまえの魂だった。それを天使と呼ぶことは、誰も教えてくれなかったけれど、わたしもいつか天使だったということを、母はわたしに何度も教えてくれた。蛍を見に上がった川沿いの道、火照った頬をなぜる夕方の風、陽の当たるリビングとタオルケット、ねむりぎわに背中を叩いてくれていた母の手、雪国生まれの猫にはじめて雪を見せたあの冬、雨の日の夜のドライブ、狭いベッドで聴いた車の行き交う音、一日寝て過ごしてしまった日の夜中に観る大好きな映画、水族館の向こうの海、花火をした海、わたしの名前の生まれた海。生まれるまえ、わたしたちはどんな姿をして、どんなことばで愛を知ったろう。海の満ち引き、月の満ち欠け、光の呼吸、ここは、こどもも大人も天使たちも、繰り返し生きる世界。
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