他所の国の事なので余計なおせっかいではありますが、アメリカに住む人は趣味を「映画鑑賞」と答えるのを躊躇するのでは?と心配になります。
言うまでもなく大半のアメリカ映画、特にハリウッド映画は「わかりやすく、ポジティブで、ハッピーエンド」という図式が固定化しており、つまるところそんな物観ることを「趣味です」などと答えると「私はバカだ」と明言するようなもので、だからこそ多くの映画好きのアメリカ人は映画が好きであることを伏せてひっそり地下で隠れキリシタンのごとく映画鑑賞を楽しんでいるのでは・・・と勘繰るわけです。
そう言う意味では、今作はハリウッドメージャー大作と言うわけでは無い事もあってか、非常に野心的で挑戦的で、ある程度は作家性を感じさせるような知的な作りになっています。
何より「タイムスリップには変わった車も変な科学者も実物大の宇宙船も必要ない」と、テクノロジーではなく人間の無意識に焦点をあてて、小ぶりながらも大きな予算をかけずに映画的スペクタクルを表現したという意味では、日本の大林宣彦版「時かけ」と同じような映画センスを感じます(とはいえもちろん、そこはアメリカ作品ですので、「時かけ」よりは遥かに大規模でお金はかかっていますが)。
原作物とアニメとスーパーヒーローが跋扈するアミューズメントパークのような映画が幅を利かす現在からすると信じられない思いですが、20年くらい前には「アメリカでさえも」こんな映画が作られてたんですね。
大規模な核戦争でもあって一旦文明がリセットでもされたのかしらん??
・・・・とでも考えないと、この深刻な断絶は埋まりそうにありません。