葛西ロボ

ドニー・ダーコの葛西ロボのネタバレレビュー・内容・結末

ドニー・ダーコ(2001年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

 不思議な話とだけ聞いていて、いざ見始めたら確かにどこか変。真夜中ウサギに連れられて、ゴルフ場で目が覚めて、家に帰ると飛行機のエンジン。その後軽快に学園生活が始まっても、どこか穿った目で見てしまう。ダンス・チームの中でドニーの妹がセンターなのに一番下手なのも暗示かな?
 妄想で現実感が無くなって来たのか、ドニーはだんだん怖いもの知らずになっていく。自己啓発みたいな授業に反抗したり、学校を水浸しにしたり、ロリコン野郎を成敗したり、こういう誰しもが一度は妄想するようなことを実行に移して、それが良い結果に繋がったり、絶対にばれるようなことがないの、かなり都合のいい世界構築だな。でも、タイム・マシンの話とか、死神ババアの正体とか、まだまだよくわからないし、いったいどう収束つけるつもりなんだろうと思っていたら、飛行機のシーンで「あっ」フラッシュバック。なんてこった。すかさず2度目の視聴。以下は個人的な見解です。
 透明な矢が人の身体を突き抜けて未来が見えるのは、それだけ何度も同じ28日間を繰り返してきたから。ウサギは日程の管理者であり、その指示に逆らうことはできない。また、繰り返すにつれて積み重なった経験が、ドニーの行動を先鋭化するだけでなく、周囲の行動すらも暗示的にしている。ウサギの正体は神や運命とも取れる深層意識であり、最愛の人を轢き殺したフランクの姿を借りている時点で、それは「神」と言っても「死神」的なものである。ドニーを運命のままに縛り上げ、何度でもグレッチェンを殺す。もともと精神が不安定だった彼の中で、惨劇の直後に生み出された。28日間の案内人。
 また、映画は最後を除いてドニーの主観を出ず、ドニーの意識が色濃く反映された世界と言うことができる。よって、ウサギの存在や、神や運命の示す道に抗うことは、彼が自分の意識を変えるということに限りなく近い。「生き物はみな孤独に死ぬ」という運命を受け入れられないドニーだが、最終的に現実のフランクと妄想のフランクを重ね合わせて撃つことで、自らの死と繰り返しの解消を選択する。
 腑に落ちないところもたくさんあるけど、色々な見方を楽しむ作品。