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エイリアンのa7IIIのネタバレレビュー・内容・結末

エイリアン(1979年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

~エイリアンと猫のジョーンズ~

SFホラー映画の金字塔で、誰もがこの作品について語り尽くしてきたと思うので、ちょこっと書きます。

エイリアンやセットのデザイン、キャラクター造形、雰囲気、絵やストーリーなど全てが上品で練り上げられており素晴らしく、その中で時折見せる異質な表現や謎の演出がまた僕にはお茶目に見えた。
とにかくかっこよく、恐ろしく、上質で、性的メタファーに満ち溢れていた。

さて、僕がここでこの映画について話したいのは、映画の後半、リプリーがエイリアンを殺すためにノストロモ号の自爆シークエンスを作動させるが、その際にノストロモ号のクルー達のペットである猫のジョーンズをキャリーケースに入れて脱出艇の手前へ置いていくところで、エイリアンとケースの中のジョーンズが対面するシーンがある。どこか不思議そうに猫を見つめているようなエイリアンを観客のこちら側はジョーンズが殺されてしまうのかどうか分からず緊張が走るがリプリーのカットへ移り、彼女がジョーンズの所へ戻ると彼は無事だった。
目の前に現れた人間を確実に殺してまわったエイリアンが何故、猫のジョーンズは殺さなかったのか疑問に思う。
ジョーンズが体内にチェストバスターを寄生させられてしまったので殺されなかった等々、結果使われなかった脚本の名残なのかもしれないが、そことは切り離して、ジョーンズが殺されなかった意味を考えたい。
エイリアンは、ノストロモ号の乗組員及び我々から見ても全く未知の存在で生体も何も全く分からない「異質」な存在だ。
つまり我々の思考や感情の通じ合いのようなものが全くない存在でありそれが名の通りAlienだと言える。
それと同様、猫もまた我々人間の思考とは異なるものである。僕はどちらかと言えば犬より猫派だし、猫が撫でられてゴロゴロ言ったり懐いたりしてくれると繋がりのようなものを感じる時もあるし、少なくともそういうものが本当にあると信じたい。しかし、時に我々人間が困っていようが泣いていようが死に瀕していようが猫が何か傍観する体をとる事があるし、映画などでそういう表現をされることもある。
その時に、やはり猫は人間とは違う生き物であり、その視座や価値観というものがこちらの届かない、理解·想定しきれないものであると感じる。
そしてそここそが、エイリアンやノストロモ号のAI「マザー」やアンドロイドのアッシュ同様、猫のジョーンズも人間からは「異質」なものであると思わされるのだ。
ジョーンズがエイリアンに殺されなかったのも、映画全体にある人間と「異質なもの」というイメージを強調されたように僕は感じた。
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