イホウジン

シンデレラのイホウジンのレビュー・感想・評価

シンデレラ(1950年製作の映画)
3.4
あまりにも美しすぎる“呪い”

映像が美しいのはよく分かる。現代でも劣らない巧みな演出や登場人物の作り込みである。オープニングでシンデレラ城が登場しなかったことに一瞬違和感を感じてしまったが、その理由をすぐに理解した時には少し笑ってしまったし同時に本作の歴史的意義も確認できた。

ただ、この映画を現代でも手放しに評価出来るかと聞かれるとそうは言えない。というか、これまで本作を賞賛し続けたこと自体が現代人の一つの“罪”とも言えよう。
まず目に付くのは、強烈な男女のジェンダーの意識である。暗黙のうちに“強い男性”と“弱くて醜い女性”が規範化されており、男性優位性がやたらと目立つ。特に王様はかなり気持ち悪い。(かわいい)孫のことしか考えないゲスな登場人物で、その上それに対する批判が一切ないのになさすがに引いた。途中の動物たちがドレスを作るシーンでもジェンダー役割が固定化されており、歯がゆかった。
そしてなによりこの映画の大きな検証点は、女性のルッキズムの強調である。これは“顔が美しい”シンデレラが“可哀想な目に遭う”ことが今作の主人公の感情移入ポイントとなっているが、それは顔面が整っていない=醜 とする考え方と非常に紙一重である。性格の善し悪しも確かに今作の対比点ではあるが、それを表現するのも結局ルックスの善し悪しだ。映画内における“敵”をルックスの悪い人としてしまった罪は大きいはずだ。ルッキズムが無くなることはないだろうが、過剰な価値観を提示する今作は改めて振り返るべき社会問題であろう。
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