Stroszek

ゴーストワールドのStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

ゴーストワールド(2001年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

2000年米。原作からの改変: 美術教師ロバータが新たに登場、美大への入学は一般入試ではなく推薦(それも反故にされるが)、ボブ・スキーツからシーモアへ変更(原作ではボブとイーニドはあまり絡まない)、“You want to fuck up the system? Go to business school!”の台詞は、イーニドの昔の知り合いではなく、レコード屋の店員が言う、原作ではレベッカがイーニドに「大体の男はあんたの方が好きなのよ」と言うが、映画ではイーニドが「世界中の男は私よりもあんたが好み」とレベッカに言う、等々。

若い男はイーニドに見向きもしない、という描写が原作よりも多く、彼女のコンプレックスがあからさまに示される。

シーモアが「だいたいの人はマックとナイキで満足なんだ」と言い、均質化される大量消費社会へのコメントあり。

美術教師のロバータとジャズバーでブルースを真似る白人バンド、「過去の遺産の概念だけを真似る白人」という意味では共通点がある。

「ゴーストワールド」の意味については、監督、各出演者の中でも様々な解釈が行われていて面白い(ブシェミが「カフェ、モール、スタバに侵される前の、町の以前の姿」と言えば、監督のツワイゴフは、「アメリカ文化の衰退」と言う)。

映画が進むにつれどんどん表情が大人になっていくレベッカ役のスカーレット・ヨハンソンだが、演じたとき15歳と知り驚いた。彼女が社会に順応していく過程を表すのに、新しいアパートのアイロン台を得意顔でイーニドに披露する、という演出は実に秀逸。

小さな挫折を繰り返すごとに、手当たり次第に慰めてくれる相手を探すイーニド。ベッドで酒を飲みながらシーモアに夢を語っているとき、“Fuck everybody!”と言うのだが、『バチェロレッテ』(2012年米)でキルスティン・ダンストが言う“Fuck everyone”とほぼ同じで、後者への影響を感じる。

シーモアの入院する病院の前のベンチでレベッカに手を離され(原作では6章最後に手を離すよう言うのはイーニド)、ノーマンが来るはずのないバスに乗ったあと、ベンチに書かれていたメッセージ“LIFE: NOT IN SERVICE”の文字を見て、イーニドが「あ、そういう選択肢があったか」と気づいた顔をする。これを観ればイーニドが自殺したことは一目瞭然に思うが、そのあたりで町が外界へ接続されていることの象徴であろう電線と電柱も映ったりしているので、町を出て生存した可能性も提示されているとは思う。非常に両義的な結末。

オープニングで使われているMohammed Rafiの“Jaan Pehechaaan Ho”(1965年のボリウッド映画“Gumnaam”のために作られた)、気が狂うほどカッコいい。

[鑑賞メーターから転載]

2000年米。原作にはない美術教師ロバータの造形が秀逸(イーニドが自分で描いたイラストではなく、現代美術っぽい作品(“found object”と言って、既製品を組み合わせて適当な解釈をつける)を評価したり、抽象芸術を“higher category of artと言ってしまう)。イーニドはノーマンが去ったあと、“LIFE: NOT IN SERVICE”と書かれたベンチを見て、理解した表情を浮かべ、自分もバスに乗るのだが、その直前に外界ヘ繋がる物の象徴であろう電柱と電線も映る。実に両義的かつ曖昧な結末。
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