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カクテルのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

カクテル(1988年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

兵役あがりのブライアンは一攫千金を夢見てNYへ。だが、就職活動は難航し、ビジネス学校に通いながらバーテンダーのアルバイトを始める。ベテランバーテンダーのダグの師事を受け、二人は派手なボトル捌きで評判になるが…。

公開当時、劇場で鑑賞して以来の再鑑賞。
「成り上がろうと野心を抱く青年が体験する喪失と再生を描いた青春映画」と言えば聞こえは良いが、今でこそ大スターのトム・クルーズにとっても、描かれる物語自体も、まさに「若気の至り」を絵に描いたような作品。
トム・クルーズのルックスと美しい映像、ポップでノリの良いサントラで公開当時は大ヒットしたし、「トム、カッコいいな」と思ったものだが、現在の目で見ると、女性の扱いや描かれ方が酷く、おそらく大炎上する作品。
しかし、学も無く、資格も無いが、夢と若いエネルギーだけはある男性には希望と勇気を与えるかもしれない。

希望するようなエリートにはなれないが、バイトで才能が開くというのは、夢を追う若者には良くあること。
「もしかしたら、こっちの道で成功するのかも」と可能性に賭けるのも、良くあることである。
この辺までは親近感が持てる。

店の繁盛に気を良くしたブライアンは、リゾート地で自分たちの店を持つことを構想するが、ダグは乗り気ではなかった。
つまらぬ賭けをして、付き合った女性を寝取られたブライアンはダグと仲違いしてNYを離れてしまう。

ブライアンは計画通りジャマイカのリゾートビーチでバーテンダーとして働きだす。
そこで知り合ったNYから来た女性ジョーダンと親しくなる。
とりあえず生活も安定したし、恋人もできた。コツコツ金を貯めて、いずれは自分の店が持てるよう精進しなさい…などと思うが、それではつまらないと話は余計な方向に転がり出す。

ブライアンの元に富豪の娘ケリーと結婚したダグが新婚旅行に訪れ、「悔しかったら金持ちの女性をモノにできるか?」と賭けをけしかけられ、ジョーダンというものがありながら、ブライアンは年上の女性ボニーに手を出してしまう。
怒ったジョーダンはNYに帰ってしまう。

ブライアンはボニーとNYに戻るが、女社長のボニーに囲われたヒモ同然の暮らしにプライドを傷つけられたブライアンは彼女と破局。
金のある暮らしをしたかったくせに、立身出世したいと男のプライドが許さない。
客観的に見れば、主人公は運が良いくせにワガママである。
しばし路頭に迷った後、ジョーダンとヨリを戻そうと彼女の勤めるカフェを訪ねるなんて、自分のしたことが分かっていないイタイ男である。

当然、ジョーダンはブライアンを拒絶する。
ブライアンに汚物を頭からぶちまけるのには拍手喝采だ。

だが、実はジョーダンはブライアンの子を身ごもっていたことが判明。
ブライアンがジョーダンの家を訪ねると、実は彼女がアップタウンのペントハウスに住む富豪の娘であったことを知る。
娘を傷つけたと父親からは完全に拒絶されてしまう。

失意の中、ダグの元を訪れると、ブライアンはダグが自殺していた現場に遭遇。
ダグは株式投資に失敗し、財産を失っていたのだった。
金持ちになっても、その責任を果たせない人間の末路は哀れだ。

本当に大切なのは金ではなく愛だと、心を入れ替えたブライアンは再びジョーダンを訪ね、結婚を申し込む。
手切れ金を積まれても、父親に拒否されても、愛する人を奪い去っていく姿は、まるでダスティン・ホフマン主演の「卒業」だ。

ジョーダンと結婚したブライアンは、叔父から借りた金で自分のバーを開店する。
開店祝いの日、ジョーダンはお腹の子が双子であると打ち明け、店は喜びに包まれる。

主人公が就職活動に奔走する整然として無機質なNYのアップタウン、逆に薄暗いが酒瓶の色やネオンの輝きが誘蛾灯のように蠱惑的なダウンタウン。
そして陽光眩しく、雄大な自然に囲まれたジャマイカのリゾート。
映し出される映像は美しく、全く古びていない。

しかしながら、主人公の行動はいただけない。
夢を追うのは良いとしても、女性をモノ扱いして賭けの対象にするばかりか、ジゴロ気取りで女はセックスで虜になると信じている。
女社長のボニーやダグの嫁のケリーはもちろんだが、ヒロインのジョーダンにしても真面目にあくせく働いている女性は男と付き合う暇などないから、みんな欲求不満だというような描き方。
現代の自立した女性が見たら、怒り心頭になることは間違いない。
自分が傷つけたくせに、「愛してるから一緒になろう」などと、ワガママ放題である。
美男子トム・クルーズが真っ直ぐな瞳で愛を語らなければ成立しない話で、他の役者ならきっと呆れてしまうことだろう。

終いには「自分には大金持ちになって責任を負うのは無理」と、大きな野望はどこへやら、ささやかな自分の城で満足する小市民になってしまう。
なるほど、その年の最低作品を選ぶゴールデンラズベリー賞に作品賞と脚本賞で選ばれたのも納得。

もう少し、主人公が女性に対して誠実になり、大きな夢とそれが叶わぬ悩みを曝け出すならば、女性も同情するかもしれない。
夢を追う男を応援する「尽くす女性」が存在することは確かだ。
主人公がもっと「路頭に迷う可愛い子犬」であったなら現在でも受け入れられる作品になっただろう。

公開当時は日本はバブル景気の真っ只中。
バブルの時期は、ソ連の「ペレストロイカ」とほぼ同じ時期で、冷戦が終結する頃。
アメリカもイケイケだった。
当時の世相にフィットした作品であることは間違いない。
トム・クルーズも「トップガン」のヒットでイケイケだった頃の「若気の至り」作品である。
酒の勢いで踊ったり、詩を披露するところからして、自分が酔った時のことを想像すると、見ていて恥ずかしくなる。

しかしながら、夢を追うエネルギーとルックスさえあれば「金と女は手に入る」と、夢を追う若い男性には勇気を与えるかもしれない。
そんな男性には、主人公のようにキッチリ挫折して、人生を学んで欲しいものである。

「若気の至り」の恥ずかしさを美しい映像と主役で、美しく描いた作品。
そこに価値がある。
(まぁ、それが「青春」なのだが)
「人生、勢いで突っ走ってはいけない」、それが本作唯一の教訓である。
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