シズヲ

ハンバーガー・ヒルのシズヲのレビュー・感想・評価

ハンバーガー・ヒル(1987年製作の映画)
3.8
「何度丘に登った?10回か?」
「それでも認められない」
「俺たちって何なんだ?」

ベトナム戦争に参加した新兵達の生きざま。1969年に南ベトナムで勃発した“アパッチ・スノー作戦”を題材に描かれる。束の間の小休止、過酷な戦闘、束の間の小休止、過酷な戦闘……。先行きも見えぬままに只管繰り返される“戦場の日々”。ルーティンのように訪れる“死の瞬間”。昨日まで語らっていた筈の仲間は呆気なく死体と化して居なくなる。そこに劇的なドラマは一切無いし、感情移入の対象となるような登場人物もいない。仲間の惨死に幾度となく直面し、泥まみれで生き延びながら摩耗していく兵士達の姿を延々と見つめ続けることになる。

悲惨な戦場を常に淡々と映し出し、徹底してリアリズム的演出を貫いた撮影手法が紛れもなく鮮烈。『プラトーン』や『フルメタル・ジャケット』のような同年代のベトナム戦争映画の傑作と比べても全く遜色のない臨場感に溢れている。ベトナム戦争を契機に軍隊内での人種隔離が撤廃された白人と黒人、その間に残っている微妙な“境界線”を描いているのも印象的。全編通してあからさまなドラマ性を排除しているからこそ、戦争へと放り込まれた兵士達の人生、友情、憔悴が生々しく浮かび上がっている。

米国内の風潮の煽りを受けて恋人からの手紙を断たれてしまった者、「白人国家の為の戦争」と言及して黒人ゆえの境遇を憂う者、一度は退役を迎えながらも故郷に居場所を見出だせずに戦場へと帰ってくる者。皆が地獄のような戦場と対峙し、時には味方同士で苛立ちをぶつけ合い、何の為に戦っているのかさえ曖昧になっていく。そんな状況に置かれ、僅かなヒューマニズムを糧に寄り合いながら“居場所”を作っていく兵士達の切なさ。反戦運動の煽りを受けてしまった彼らの孤立は、ジョン・ランボーが体現した悲哀の“真の姿”めいている。

何度も繰り広げられる戦闘シーンはまさしく無情そのもの。密林や湿地での泥臭い銃撃戦の連続、判別も付かぬうちに無惨な死を遂げていく兵士達。頭部が粉砕されて身元が全く分からない死体、味方のヘリコプターからの誤射によって甚大な被害が齎される下りなど、虚しさと不条理に満ちた暴力と死の描写が渦巻いていく。何故彼らはここに放り込まれなければならなかったのか。大義も何もかも見失った兵士達に残されたものは、もはや“生き抜くための肉体”しかない。そして肉体に突き動かされる彼らの人間性は“仲間達との絆”によって辛うじて繋ぎ止めていく。名も知られぬ彼らの生きざまを追悼する最後のメッセージは何よりも切実で印象深い。
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