危険な仕事は決して心を満たさない
エンタメとシリアスの配分がなかなか絶妙なスパイ映画だ。オープニングのパルクールの追撃の躍動感は同時代の他のスパイ映画にも負けない派手なアクションで、いきなり驚かされる。スタイリッシュな紳士というイメージからは乖離した若々しい身体が動く様子から、思わず「これは本当に007なのか?」と疑ってしまう。しかしそんな疑念は映画全体を通して晴らされる。なぜなら今作は007の成長の物語だからだ。
今作ではスパイ映画にしては珍しく、命の重みがストーリーの主軸となる。人殺しの罪を問わないというスパイ映画のお約束を自ら打ち破ったということだ。この映画の中でボンドは命の重さを実感し、それに抗おうと懸命に努力するも、結局は血で血を洗うという意味での“殺し”に意義を見出すこととなる。観客の倫理観が問われるような映画だが、だからこそ物語としての深みがあるのである。娯楽としてのスパイ映画が増加した今、独自色を出そうとしてこのようなシリアス路線に至った、ということだろうか。なので今作には、エンディング後に虚無感が残り、それが今作の個性となっている。
展開も独特だ。『ロシアより愛をこめて』を想起させる静的な心理戦が、今作のハイライトの一つとなる一方、ラストに向かう不協和音は、これもまた007の“お約束”を破るものでもある。
中盤からやたらと動と静を繰り返すストーリーになるのだが、それが露骨すぎて残念だった。カジノだけでも十分面白くなれるはずなのに(『カイジ』とかの実例もある)、やはり不安だったのだろうか。すごく不毛な闘いを見せられた気分になってしまった。
あと、相変わらず女性を堕とすということに執着しているのは残念だ。確かに今作のボンドガールは恋人というよりバディの文脈が強かったが、それでも「ボンドが頑固な女性を口説く」というスタイルに変わりはなく、既に古臭さを感じてしまう作風であった。