あしたか

愛のむきだしのあしたかのレビュー・感想・評価

愛のむきだし(2008年製作の映画)
4.9
[あらすじ]
神父である父との繋がりを「懺悔」で保つため罪作りに没入するユウ。いつの間にか絶妙な角度と早業で盗撮名人となる。ある日理想の女性に出会うが…(Netflixより)


不純・不潔・性愛を突き詰めて極めることで初めて純愛に達することができる、という逆説的な命題。

誰もがわかっていることだが、性欲を抜きに恋愛をするなんて不可能に近い。ゆえに「愛」という範疇には間違いなくセックスも含まれている。
しかし邦画では当たり障りのない性描写で描かれるものがほとんど。現実ではそんなソフトタッチの恋愛は有り得ないというのに。

人は作り物でもいいから『純愛』というものを見てみたいらしい。「清楚系女優」なんて虚構の言葉が存在するのもその理由からだろう。
自分が純潔じゃないから、そういう夢を見させてくれる虚構に縋ろうとする。

そこで園子温(この映画)はこう言った。「いやいや、性欲抜きで恋愛を語るなよ。お前は勃起もしないで恋をするのか。そこまで含めてが愛で、純愛だ。何ら恥じることは無い」と。愛を描くならここまで撮れと。
そうして日本映画界に一石を投じた。
ただ性的でいやらしいだけの映画ではない。かといってプラトニックラブでもない。全て含めてこそ『愛』だと、そう言っている。これが愛の全て、ゆえに愛のむきだし。
愛を剥き出すということは、自分の下劣な面(実際はそれは全く下劣ではないのだが)も含めて全てをさらけ出して、相手に真正面からぶつかっていくということ。

この映画を見て安心したのが「なんだ、こういう恋愛をしても純愛たりうるんだな」と思えたこと。
私ももっと、剥き出していこうと思った。
あしたか

あしたか