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ガンジーのiPhoneのレビュー・感想・評価

ガンジー(1982年製作の映画)
4.0
一筋縄では行かない考え方を持っている、当たり前にすごい人だなと感じた。でもここで当たり前とか畏れ敬いすぎか。正直言うと半信半疑だったが、やはり並みの人ではないなと肌で感じた、と言うのが正しい表現だ。その異名、嘘ではないなというか。
ダメな伝説と素晴らしい伝記と事実的な快挙を成し遂げた人、ガンジー。面白かった。
個人の嗜好はどうであれ、この人は現代に生まれた、なるべくして成ったインドの父、インドの宗教家、政治主導者としてのいわゆる選ばれた王だったのだと思った。総理大臣のようなものだ。大義を大切にする人もたまには必要なのかもしれない。あるいは違うのかもしれない。ただ、簡単に言うとインドのムードメーカー、あるいはインドの土地の大いなる父。
インドの歴史の側面を描いた、インド歴史の教科書といった具合の映画だった。
長かった。時には長すぎた映画だった。だが、事実長い歴史だったのだろうとも思う。それを丁寧に端折らず描き残したかったのだろう。
イギリスに行くまで彼が国で問題児だったのは人間味を感じて面白かった。(調べた。映画としての言及はない。)やんちゃをしてた人ほどしっかりする方程式に当てはめるのはやや強引か?
最後の死に方は事実としても映画としても、何とも受け入れ難い。出過ぎた杭は打たれるのか、影響力は保ち続け、権力もある程度使い、己を守ったほうがいいのか。はたまたこの死に方すらも、何かしら我々の思わない捉え方を彼はしてそうで、結果論としては良いのか。
埋葬の仕方はすごく好きだった。彼の大きなモニュメントと共に大仰な箱に入れて埋葬しそうなところを、ガンジーの骨を海に流し自然に返す行為は、わたしは好きだった。最近埋葬の仕方を考えてしまう。そこまでして自然と一体化しないように箱で包み、土と分離させる必要があるのか。失わなければ得られるものも無いというのがわたしのもっぱらの思想であり、そこに基づくものなのかもしれないが、そこまで物理的に物質(骨)に固執する必要があるのか。今の私の考え方(日々変わりゆく)としては、思い出と記憶が全てだと思う。だから墓は、という問題になってくる。祈る行為や祈られるモニュメントや墓標は賛成だが、必ずしもそこの下の土に永久に土に還らない分離した箱で保存され続ける必要があるのかということだ。勿論否定はしていなく、自分はどうしたいのだろうと考えていたことを、ふと思い出させてもらった。
あとこの映画は、何度も繰り返し言うが教科書のような“記録”に近く、芸術的観点に欠けるように一見見えるが、その徹したインド独立への歴史への熱い思い自体が芸術的だと思った。なので、存在意義としてすごく価値があると思う。
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