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日陽はしづかに発酵し…のROYのレビュー・感想・評価

日陽はしづかに発酵し…(1988年製作の映画)
4.8
けだるい熱病のような欲望と痛みにいま魂が出会う

世紀末のファンタスチカ

中央アジアの荒涼とした土地を舞台に、ロシアとアジアの青年の交流を軸に繰り広げられる壮大な叙事詩。

原作はストルガツキー兄弟のSF小説『世界終末十億年前-異常な状況で発見された手記』。また、ストルガツキー兄弟も『蝕の日』と題して本作の映画シナリオを発表している。

■STORY
トルクメニスタンの荒涼とした土地に派遣されたロシア人の青年医師マリャーノフ。ヨーロッパとアジアを結ぶ土地の文化に戸惑いつつも、現地の青年サーシャと友情を培い、患者を診ては学術論文を書く日々を送っていた。だが、ある日届いた差出人不明の小包を開けた時から、マリャーノフの生活に歪みが生じ始める。彼にはなんの憶えもないのに、姉が「呼ばれてきた」と訪ねてきたり、患者で軍の技術者のスニェガヴォイが「ものを書くのは危険だ」と謎の言葉を残して不可解な死を遂げたりしたのだ。そして、死んだ患者のもとから戻ったマリャーノフは、家に銃を持った男に押し入られてしまい…。(「早稲田松竹」より)

■NOTES
スターリンの強制移住に端を発している民族問題、イスラム教とキリスト教の一派である古儀式派との関係、核開発による自然破壊など、複雑なロシア現代史を底流に構築された本作には、後のソクーロフ作品に漂う独自の世界観、終末観が表現されている。冒頭、荒涼とした黄色い砂埃の舞う大地に急接近するカメラに驚くが、実際にカメラマンは監督の要望に従い、空から舞ったそうだ。ちなみに印象的な黄色い大地はウラン採掘の跡地である。

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『日陽はしづかに発酵し…』の砂塵が舞う荒涼とした黄色い大地。そして朝でも昼でも夜でもない、進むことを忘れ絡み合う黄色に染まった時間。差出人不明の荷。突如現れる大蛇。死者との会話。扉の前でうずくまる少年。民族的な音色が響き、黄昏時・終末的な雰囲気は、日常・非日常の境界を消失させる不可思議に満ちている。

どこか監督自身の境遇とも重なる青年医師マリャーノフの旅路は、つまり、人生の不条理、浮き彫りとなる孤独を物語っている。

書き上げようとしている学術論文は、邪魔が入り遅々として進まない。医師として患者を救おうにも、命は手に掬った砂のようにこぼれ落ちてゆく。幼気な少年とその運命に介在することも許されない。そして、砂漠に浮かび上がった迷宮のように出口のない街を、友人は去ろうとしていた。

広漠とした大地が広がり、そこにポツンとたちずさんだ青年によって、運命に対する人の無力が顕となる『日陽はしづかに発酵し…』。それでもマリャーノフは天をちらりと一瞥して笑う。まるで神様に微笑みかけるかのように。

↑早稲田松竹より抜粋

■THOUGHTS
ソクーロフを見たのは3年前に『チェチェンへ アレクサンドラの旅』以来だった。

ヴォルガ・ドイツ人

原作者に酷評されようと、己の世界観を構築する。それが名作が生まれるのに必要なことなのかもしれない。
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