寝木裕和

乳房よ永遠なれの寝木裕和のレビュー・感想・評価

乳房よ永遠なれ(1955年製作の映画)
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日本映画史の中で二人目の女性映画監督となる田中絹代の長編三作目。

この三作目で、田中絹代にしか出せない個性を獲得したように思う。

なにしろ1953年の時点で不遇の人生を生きた女性を主人公に、女性が脚本を書き、そして女性が監督する… ということ自体、とてつもなく冒険的なことだったろうと思う。

実在した中条ふみ子という歌人が、親から言われるがままの結婚をし、男性優位な家庭の中で酷い扱いを受け離婚、「歌」というものに自らの人生の不条理を綴っていく中で評価されていくのだけれど、それも束の間、乳がんによって苦しみ続けることになる。

田中絹代という人が、ふみ子の人生のどこに共鳴し、そして結婚や家庭や社会の中での女性の存在を、どう炙り出そうとしているのか。
それが物静かではあるが強烈に表されている。

相部屋を共にした病人が亡くなり運ばれていく安置所までの廊下。
それを自分のやがて訪れる死と重ねて恐れ慄きながら付いていく主人公・ふみ子。
そこに流れていく光と影のまだら模様。
そういった描写が今作ではとても効果的だ。

この安置所までの廊下は、その後も重要なシーンで使われる。
ふみ子自身が絶命したあと、そこへ運ばれる彼女と、それを追いかける幼き彼女の遺児ふたり。
そのとき、前述の相部屋の病人が運ばれる時とは打って変わって、天使が誘うような眩しい光に包まれる。

この、安置所の扉と、そこまでの廊下は、現世とあの世のメタファーであることは自明だろう。

しかしこういった光と影の効果的な使い方が絶妙。

自分を売り出してくれた新聞記者・大月彰の影との接吻のシーンも然り。

死を目の前にして、ようやく自分自身の人生の喜びを取り戻したように見えるふみ子自身の光と影も、そこに彼女が生きていた証として、強烈に残るのである。
寝木裕和

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