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私は貝になりたいのgenarowlandsのレビュー・感想・評価

私は貝になりたい(1959年製作の映画)
3.7
「生まれ変わるなら人間にはなりたくない。牛や馬がまし。戦争のない海の底で静かに暮らす貝になりたい」と遺書を遺したBC級戦犯の死刑囚の話。

黒澤監督等の数多くの名作を生み出した名脚本家の橋本忍の監督作品。

BC級戦犯は下士官が多く、絶対的服従の下、上官の命令によって捕虜を殺害したり、傷つけたりしたことを、上官のみならず、その部下も罪に問われた。

日米の意思の疎通がうまく図れないまま、直接手を下していない二等兵が再審請求も却下され、死刑に処されるまでの10年近くの心の動きを描いています。

フランキー堺が演じる元二等兵は高知土佐の理髪店の店主。自分を守る術もない市井の人が処される理不尽さが描かれています。

5700人BC級戦犯に問われ、920人が死刑執行されました。

本作のメッセージはBC級戦犯の裁判の理不尽さだけではなく、市井の人が戦争に駆り出されても、政治的要人とは異なり、何度も殺され、救われることはないことだと思いました。一度目は自国の兵士として命を国のためにかけられ、二度目は自国に見捨てられ、三度目は責任を負わされる。

他の作品「海と毒薬」でも思いましたが、アメリカによる尋問や裁判で、アメリカ側が理解し得ないのは、日本人の個人の意思の無さで、上官からの命令には絶対服従で、個人の倫理観が発動しないところ。人としては<してはならないこと>を理解しながらも、大義のためなら<致し方ない>と個の意思が全体に吸収されてしまう。責任の所在のうやむやさにも重なるから組織的犯罪が横行しやすい土壌がある。

アメリカ側はなぜ悪いとわかっていてやったんだ?これは<戦争犯罪>だ、となるが、日本側は命令は絶対だから。拒否したら自分が殺されたり、暴力を振るわれることをなぜアメリカは理解しないのか?となる。この問答は本作にもありました。

<戦争犯罪>という概念自体が矛盾しているけれど、勝者の理論で裁かれ、命令に従うしかなくても実行者は人道的罪を犯したと裁かれ罰せられます。
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