くまちゃん

インディ・ジョーンズ/最後の聖戦のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

暗い作風だった前作と比較し今作では明るく楽しくエネルギーに満ち溢れた冒険活劇となっている。

ボーイスカウト活動中のインディは盗掘現場を目撃し、コロナドの十字架を巡って盗掘団と対決する。
馬にまたがり颯爽と駆けるその姿はまさに西部劇のカウボーイ。走行中の貨物列車に乗り込むと蛇やワニなど前作同様獰猛な動物達が登場する。
この列車でのアクションシークエンスはバスター・キートンによる「キートンの大列車追跡」を彷彿とさせ、サイレントでも十分見ごたえのあるかつ、ウィットに富んだ構成がなされている。

盗掘団との闘いは結果はインディの敗北に終わったが、鞭を握り、帽子をもらい、今のインディアナ・ジョーンズのルーツを垣間見ることができる。さらに初めて鞭を使用した際顎を負傷するが、これはハリソン・フォードの顎にある傷を作品内に生かした演出である。

ヘンリーのメモを頼りにベニスの図書館のカタコンベで聖杯に関わる石板を発見する。だが聖杯を守る十字剣兄弟団が床面を満たす石油に火を放ちインディを追い詰める。インディはマンホールを通じ図書館の外へ脱出するが、ここで疑問なのは十字剣兄弟団がすぐさま追尾してきたことだ。カタコンベ内でインディ達を殺害しようと火を放ったわけだがインディは水中を通って脱出した。十字剣兄弟団はインディが逃げたことを知る術はなにもない。にも関わらずタイミングを見計らったように追ってきたのはなぜなのか?

エルザ・シュナイダーは前2作のヒロインとは異なりナチスの一員である。
インディとヘンリー、親子揃って彼女に騙されることになる。これはインディの過失が大きいだろう。ウォルター・ドノバンはインディを見送る際誰も信用するなと助言した。その甲斐虚しくエルザに心を奪われあっさり信用してしまった。
そもそもドノバンの言葉にはドノバン自身も信用できないといった意味もあるのだろう。惚れっぽいのがインディの大きな欠点だ。

ヘンリーはエルザの正体に気がついていた。なぜ知っていたのか問われたヘンリーは「寝言で言っていた」と答える。
これはショーン・コネリーのアドリブである。エルザとの肉体関係を示唆しつつ、エルザがナチス党員であることを知っていることへの整合性も取れ、さらにはジェームズ・ボンドのような洒落っ気もある。絶妙かつ的確な台詞回し。

飛行船が転回した際には、テーブル上のグラスの影の向きが変わる事で状況を表現している。全体を見せなくとも何が起こっているのか認知させる。スピルバーグはこういう演出がうまい。

少年時代のインディはリバー・フェニックスが演じている。活躍している若手で最も自分と似ているとハリソン・フォードが推薦したため起用された。
リバーは同世代の役者の中でも突出した表現力により、未熟ながらも好きなものに実直な若かりしインディを見事に演じきった。
出演時間は10分程度と多くはなかったが、細やかな表情とリアクションによって観客の脳裏にくっきりと刻み込まれた。
「スタンド・バイ・ミー」より少しだけ大人になったリバーは初々しかった演技もベテラン勢の如く堂々たるものへ進化している。…気がする。

ヘンリー・ジョーンズはスピルバーグが007を意識したためショーン・コネリーが起用された。ハリソン・フォード、ショーン・コネリー、この二大スターが同じスクリーンにおさまっているのは奇跡に等しい。

今作ではインディとヘンリーの親子の確執が描かれている。ヘンリーは聖杯探索に人生の大部分を費やしてきた。家族よりも研究を優先させ、息子とはまともに会話を交わすこともなく妻の容態の変化にも気づかなかった。妻は亡くなり、それが原因で息子とは溝ができた。
ヘンリーがインディをジュニアと呼んでいることも親子関係を拗らせている原因の一つだろう。
ヘンリーは聖杯以外には興味がないように見えるがそんなことはない。インディが崖から落ちた際には涙を流した。おそらく学者というのは言葉で気持ちを伝えるのが苦手な生き物なのだろう。先人達が積み上げてきた学術的な智慧を借りればいくらでも言葉を紡げる。しかし心という不安定で不確定なものに関しては言語化が困難を極める。それはインディも同様だ。
ヘンリーは不器用なのだ。
言葉ではなく背中で語る。インディはその背中を追う。
ジュニアの名には未熟、半人前という意味も含んでいる。だからこそヘンリーはクライマックスで初めてインディアナと呼ぶ。
冒険を通し、インディを一人前と認めた証左。何を見つけたのか問われヘンリーは答える。「輝き」だと。
今作は宝物を手に入れて終わるような作品にはしたくないというコンセプトがあり、故に親子関係に焦点が絞られた。つまりヘンリーが見つけた「輝き」とは、唯一の家族、一人前になった息子の事を示す。この冒険はヘンリーが家族を見つめ直し息子と向き合うためのヒューマンドラマでもある。
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