荒野の狼

銀心中の荒野の狼のレビュー・感想・評価

銀心中(1956年製作の映画)
5.0
銀心中(しろがねしんじゅう)は、田宮虎彦の短編小説を原作として1956年に公開された白黒映画。田宮は岩手県花巻市の鉛温泉「藤三旅館」で原作を執筆したが、本作で温泉旅館の番頭が来ている服に「白猿の湯」と書かれているが、この温泉は現在も鉛温泉にある。原作では登場する「白猿の湯」は、映画では残念ながら登場しない。本作の大きな魅力は、雪深い花巻ロケのシーンであり、鉛温泉は、宮澤賢治も訪れており、本作は賢治の死(1933年)後20年ほどで制作されているので、当時が偲ばれる映像。現在はもはや走っていない花巻電鉄の名物である車幅の狭い“馬面電車”の映像は貴重。なお、本作では盛岡市からの客が宴会をしているという設定で、「さんさ踊り」の歌が流れるが、地元のファンには嬉しい。
本作は、戦争さえなければ、基本的に善人である三人の主要登場人物(乙和信子、宇野重吉、長門裕之)が、運命に翻弄されていくという点で、反戦映画である。戦後16年の作品であり、描かれている時代背景は戦後6年ほどの話であるから当時の観客にとっては共感する部分は大きかったと考えられる。現代では、戦争によっておこった市民の側の犠牲の歴史を記録する作品として捉えたい(田宮は本作を花巻の理髪店で聞いた話にもとづいて執筆)。
映画では、主人公の乙和信子の諦めない恋心の強さがネガティブに見えてしまう展開なのであるが、実際、乙和の状況に身を重ねると、素直に純愛を貫いているのは乙和で、交際を続けてきた人物と、その気持ちのままに生きており、周囲に有力者のサポートでもあれば(現代なら弁護士)、本作の困難な状況も解決できたはずである。なお、乙和は本作では、花巻の芸者の役も演じており、二役なのであるが、こちらは、メークも話し方も全く主人公と異なるので、映画を視聴中は、私は二役だと気がつかなかった(映画の中で、この二人が似ているという表現があるのだが、私は、「もっと似た俳優を選べばよかったのに」と感じたくらいである)。
宇野重吉は、すべてを許す「いい人」すぎる役柄として描かれているが、冷静に状況を分析すれば、心の離れたパートナーに執着し続けているのは宇野である。相手の事を真に思いやることができる、本当に「いい人」であれば、気持ちの離れたパートナーからは立ち去るのが、本当の愛情である。
長門裕之は、ピュアで義理堅い善良な青年。第三者から見れば、そこまで義理立てするいわれはなく、長い視点で、乙和にとっても、宇野にとっても、本当の幸せ(いつわりの愛情で生きるより)を考えるのであれば、異なる行動ができたはずである。ところが、自らの幸せで他人を不幸にしたくないという善良さが悲劇を生んでしまう。
本作では、主役以外の俳優もユニークな顔ぶれで、いつもとは違った役所を演じている。花巻温泉につとめる乙和信子に同情を寄せる源作を演じるのは殿山泰司で、優しく無骨で逞しい。原作とはラストが異なるのだが、映画版では殿山が最終版で活躍し男らしい。長門裕之の叔母役は、北林谷栄で、後年は老婆の役が多い北林が本作では、元気のいい壮年女性。町内会長の下條正巳は、何度か登場し、その都度、本人の意図ではないのだが、噂話などを流すことで、主人公たちの運命を変えていく。下條は、「男はつらいよ」のおいちゃん役で知られる。
原作は、文庫本で32ページの短編であり、1時間で読了できる長さ。結末が異るほかに、映画との相違点は以下。役者の年齢は宇野、乙和、長門がそれぞれ10歳違うが、原作では夫は主人公の6歳上で、愛人は主人公の2歳下。映画は三人の出演場面が多いが、原作では主人公に焦点が置かれている。そのため、映画では恋に走る主人公が身勝手で破滅を招くようなネガティブな印象となっているのに対し、原作では戦中戦後に運命に翻弄されながらも愛する人への思いを貫く主人公の心情が描かれ共感を呼ぶ。「白猿の湯」は、原作では主人公と愛人が混浴する場面がある。原作は、主人公が戦後に理髪店を再建して半年後の話であるが、映画は3年後の話になっており、さらに結末は6年後であり、映画のタイムラインのほうが、主人公には、より同情できる設定となっている。新潮文庫の原作の解説は石塚友二により以下のようにまとめられているが、主人公の描き方としては映画は原作にくらべてアンフェアである。「主人公から瀆(けが)れた淫乱女を読み取った読者は誰もいないだろう。逆に、力を尽くして根限り真実に生き抜くべく努めつつも、ついに及ばず破れ去って行く佐喜枝に、満腔の同情を惜しまないのである。行為の結果は不貞に相違ないにしても、精神的にはあくまで純粋で、瀆れを知らない可憐な女性を感取するからである。見逃してならぬ重要な一点は、美しい魂の所有者である三人の触れ合いから生じた悲劇も、畢竟は、戦争という、個人的には如何とも為し難い国家悪に依って演出されたということである」。
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