不在

愛しのタチアナの不在のレビュー・感想・評価

愛しのタチアナ(1994年製作の映画)
4.8
イカした革ジャンでめかし込んだ男がバイクに女を乗せ、町を疾走する。
バーンと景気良くタイトルが出たと思ったら、あんなに威勢のよかったピストンがストロークする音は、ミシンが奏でるリズムへと変貌してしまう。
そしてそのミシンで縫い物をする彼こそがこの映画の主人公であり、さっきまでバイクに跨っていたはずの男、ヴァルトだ。
彼はロックミュージックが軽やかに歌い上げる社会への反抗をいまだに信じ続けている昔気質の人間だが、現実では恋人もおらず、母親と共に住み、母の手伝いをして日々を生きており、音楽とコーヒー、そして虚しき妄想だけを頼りになんとか正気を保っている。
もう決して若いとは言えない彼はある時、些細なことをきっかけに(彼にとっては決して些細ではないのだが)人生を取り戻す旅に出る。

しかしヴァルトが家を出た瞬間から、戻ってくるまでの数日は、すべて彼の妄想なのだろう。
実際にはただコーヒーを買うために数時間、いや、たった数分間留守にしていただけかもしれない。
彼は見知らぬ土地に移り住み、愛する人と共に暮らすという、人生の喜びや美しさを友人に託し、家に戻ってきてしまった。
現状に嫌気が差していたとしても、それをすっかり投げ打ってしまうのは容易ではない。
それが想像の中だとしても。
冒険よりも安定。
挑戦よりも維持。
そんな決意をした彼の後ろで、早くに死んでいったロッカーたちが反抗や覚悟、そして愛を声高に叫ぶのだった。

しかしカウリスマキはそんなヴァルトを否定してなどいない。
妄想の中ですら自身の幸福を願うことのできない哀れな人間が、世界には溢れているからだ。
ヴァルトにロックがあるように、我々にはカウリスマキがいる。
それだけでいいような気がしてくる。
不在

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