Jeffrey

林檎の木のJeffreyのレビュー・感想・評価

林檎の木(1992年製作の映画)
3.0
「林檎の木」

〜最初に一言、この上ない傑作。正に女性監督による女の生き様とブレヒトの言葉、ベルリンの壁崩壊で目まぐるしく変わる政治と新な主義。東と西の統一、波乱に満ちたドイツを舞台に当時の崩壊前と後を丹念に描いた本作は一組の夫婦を通して東西ドイツ統一を成し遂げた後の世界を描いた素晴らしいー本である。これがVHSしかないのが非常に残念である。正にタイトル回収映画の中ではかなり好きな作品だ。〜

冒頭、ブレヒトの一文。ベルリンの壁が築かれて一年後にポツダムに生まれた女。農園生活、祖母の言付け、革命と熱気。開発計画、社会に貢献、党、2人の男、子供。今、絶望を通り抜け、結ばれた夫婦の形が映される…本作はヘルマ・サンダース=ブラームスが1992年に監督したドイツ映画で、この度VHSを購入した初鑑賞したが傑作。彼女と言えば80年に監督した「ドイツ・青ざめた母」が岩波ホールで大ヒットし、本作も岩波で公開されたのが記憶に残るが、未だに円盤化されてないのが残念である。青ざめた母の場合はメディア化すらされてないのだから困る。多くの人に見て欲しいのに。脚本は、監督が東ドイツの国家プラント周辺に取材し、実在の人物たちをモデルにしたオリジナルで、ドイツ社会を女性の視点で見つめてきた彼女の旧東ドイツに住む一組の夫婦を通して、東西ドイツ統一を成し遂げても新たな波にもまれ続ける人々の心情と生活を描いた作品。

本作は冒頭に川が写し出される。静かにゆっくりとテーマ音楽が流れる。鈍色の空の下、広い川がゆったりと流れている。雲の隙間から漏れる光が、川面を照らしている。ここでオリジナルタイトル。続いてクレジットタイトルが表される。対岸の向こうに、工場が立ち並び、煙が立ち昇るのが見える。ここで女性の声が発せられる。対岸から見て、私は壁の向こうで生まれた。壁が築かれて1年後だ。次のカットで地区が写し出される。工場からの煙が立ち込めている。立て替えられている東ドイツの国旗。ここでまた先程の女性の声が発せられる…。


さて、物語はレーナはベルリンに壁が築かれて1年後の1962年に、ポツダムで生まれた。彼女は社会主義は希望に満ちた太陽のようなものと教えられて育ち、革命を支持していたが、熱狂的と言うわけではない。郊外の林檎が枝もたわわに実る、大好きな祖母の家。林檎は天から送贈られた人間の果実よと祖母は言う。祖母の家に近い林檎園の新しい開発計画が発表された。彼女はそこで働くことにした。祖母は、計画は計画で終わり理想は実現しないと笑ったが、彼女は果物を育て、社会に貢献する喜びを信じている。そして、ハインツと恋におちて結婚、レーナの新しい人生が始まる。だが、農業組合長のジーンケが現れる。押しの強い彼は、病気の妻に代わって家事を手伝ってほしいと口実を設けてしつこくレーナに言いよった。ハインツはそんなジーンケに激しく反発する。

ジーンケと言う男はブルジョア階級の出身で、姉が一家の資産を西側に持ち出して逃げており、彼自身は党書記の娘と結婚して一家の土地に残り、情勢の変化を窺っているのだとレーナを説く…が、彼女は耳を傾けない。やがて、農場でジーンケとレーナの関係を知らぬものはいなくなった。ジーンケの叙勲を祝うパーティーの夜、ハインツの嫉妬と怒りが爆発した。党や社会主義を罵倒した彼は、国家保安警察に連行された。しかし、そこでハインツに持ちかけられた話は意外なものだった。当局はジーンケの亡命を疑っており、監視を手伝えば罪はなかったことにすると言うのだ。選択の余地はなかった。ある日、既に身ごもっていた彼女は、ジーンケに遠出に誘われる。だが、約束の場所に彼は現れず、レーナは当局に亡命未遂で逮捕されてしまう。党にコネを持つ妻が死に、ジーンケはレーナをおとりにいち早く西側に逃亡したのだ。

彼女は罪に陥れられたこと以上に、ハインツの密告に深く傷つく。彼女は監獄で男の子を産み、2年後に解放された。息子と2人、ハインツのもとに戻るしかない。だが、彼女はどうしてもハインツが許せなかった。息子はジーンケの子でもなく、ハインツの子でもなく、彼女だけの子だった。夫婦とは名ばかりの八方塞がりの歳月の中で、息子が成長していく。そして、ベルリンの壁が崩壊した。信じられない歴史の転換に、目の前が開けたような思いのレーナは、早速息子を連れてジーンケの家を訪ねた。実業家として成功した彼は、きっと母子の新しい出発に手を貸してくれるに違いない。だが、彼は居留守を使い、彼女は虚しく農場に戻った。農場は、自由経済と言うはじめての経験に揺れていた。彼女もハインツも農場の人々も元の地主であるジーンケに助力を求める。しかし、彼はこんな林檎は西川では売り物にならないと冷たく突き通す。

ジーンケは去り、レーナとハインツはどちらからともく固く抱き合い静かに泣いた。やがて、ジーンケの土地は開発会社に売られて林檎園の木々は根こそぎ引き抜かれてしまった。だが、レーナとハインツには祖母が残してくれた土地があった。そこでまた林檎の木を植えよう。2人は幼い息子を連れて川を渡った。そこには、同じ苦しみを味わい絶望を通り抜けて本当に結ばれた。確かな夫婦の姿があった…とがっつり説明するとこんな感じで、89年11月9日にベルリンの壁が崩壊して、今世紀末を象徴するようなこの出来事は、人々に何をもたらしたのだろうかを問い詰めた作品である。やはりこの監督は女性なだけあって、ドイツ社会を女性の視点で見つめてきている。監督が、旧東ドイツに住むー組の夫婦を通して、東西ドイツ統一に至ってもなお、新しい波に揉まれ続ける人々の心と生活を、深い痛みと未来への祈りを込めて描いているかのような素晴らしい作品である。

終始物静かで、淡々とした優しい感触に、セピア色のノスタルジーさを感じ取れる秀作である。主人公の女性はベルリンの壁が築かれて1年後に生まれていると言う事は、すなわち"革命の子"を象徴している。彼女は輝ける社会主義国家、東ドイツのさらなる前進をするべく、壁の歴史とともに成長している過程が少なからず描かれており、政府がスローガンに高く上げた理想が、日常の中で次第に色あせていくのを感じさせるのもうかがえる。いゃ〜、今回初めて見たが素晴らしい。冒頭の女性による歌声とともに、ゆっくりとドイツの原風景をスライドで捉えるノスタルジー感がたまらない。あの全体的にセピア色で、湖に反射する木々の描写、祖母とのベンチでの会話、木陰での会話、主人公の女性の一人称…。正しく女性ならではのフォーカスである。

多分これが男性監督だったら、細やかなロマンスは映されず、もっと力強い女性像を描いているような感じがするが、この作品はささやかなロマンスと結婚、そして幸せはりんご園の上司によって袋小路に至るのをうまく描いている。男女の愛情にて密告と言う社会主義国家の残酷な一面が絡み、三角関係を迷路にはまり込んでいくと言う説明文があるように、そこに風穴を開けたのは、皮肉にも壁の崩壊であった事は周知の通りである。生まれた時から当然のようにあったベルリンの壁が崩れさる日など、誰が想像しただろう。壁の崩壊は、息つまるような暮らしから東ドイツの人々を解放した。しかし、新生ドイツの喜びもつかの間、自由経済と言う新たな壁が人々の前に立ちはだかる。これはダニエル・ブリューレ主演の「グッバイ・レーニン」と言う2000年代中期位の素晴らしい映画があるのだが、それを見るとより深く当時のベルリンの壁崩壊の過程がよくわかると思う。

どうやら監督は1本のドキュメンタリーが作られるほどロケ地周辺で取材を重ね、多くの人々の話をもとに物語を描いたそうだ。そこは、東ドイツ政府自慢の国家プラントが行われていた地区で、実際にりんご園の木が引き抜かれたときに、その場面をまず先に撮影しておいたと言う。ドラマ織りなす3人とも、実在の人物がモデルであるそう。彼らを中心に、監督は東と西から二重に裏切られ、仕事を失い、生活を奪われた人々の言いようのない怒りと悲しみを、リンゴの木に託したと言うことになる。若いふたりが結ばれた時、生命の喜びを囁き合うリンゴの木、機械に引き抜かれ、延々と横たわるリンゴの木、リンゴの木はもう歌う事は無いのだろうか、人間が人間にしたこと、自然に対してしたこと、人間の愚かさ、残酷さ、弱さ、同時に絶望に追いやられても、再び未来に希望をつないでいく人間の強さ、美しさをブラームス監督は描いたと言っている。

ちなみにこの作品の冒頭の言葉で、たとえ明日、世界が終末を迎えても、今日私は林檎の木を植えるだろう…と言う言葉はマルティン・ルターの言葉とも言われ、多くの人々が引用してきたそうだ。この言葉は、ブラームス監督がリンゴの木が引き抜かれるのを見ていた時、自然に心に浮かんできたものだと言う。ちなみに主人公のレーナの少女時代を演じているのは監督の一人娘である。なんだかこの作品は岩波ホールのエキプ・ド・シネマ20周年記念作品として上映されたようだが、その前に監督を支援する4人の日本人女性によって93年3月に江ノ島国際女性映画祭で上映されてから、9月の東京国際映画祭女性映画週間に出品されて好評を博したそうだ。今でこそ女性の地位向上を目的に様々な運動がなされているが、この時代はなく女が底流にあったような気がする。意志を持って生きようと戦う、女性たちの社会へ向けた涙がこれらから伝わってくる。

このベルリンの壁崩壊と言うのは、様々な共産主義が世の中にはびこっていた時代である。それこそもはや前世紀(20世紀)の話であるが、ナチズムからファシズム、そういったイデオロジーの中に、文化大革命や共産主義に対する勝者である米国的自由主義も、ベトナム戦争で崩壊してしまう。そういえば天安門事件もあった。この時代に様々なベトナム戦争が作られたと同時に、ベルリン崩壊の壁の思想映画はこの時代から徐々に2000年代前半までは描かれてきた。しかしながら2020年以降果たしてどのぐらいベルリンの壁崩壊の映画が作られていくのだろうか…。今となってはこの「林檎の木」は非常に貴重なイデオロギーの挫折、イデオロギーの支配下、信じていた思想の崩壊が経験を通して描かれているため、非常に貴重な作品では無いだろうかと納得してしまったのだ。

この映画の凄いところは、政治的な議論などほとんどしないと思われる果物園で働く普通の人々が、旧東ドイツの社会主義の理念の崩壊後に生きており、そういった知識層いわゆるインテリア、党員達とは異なる立場でイデオロギー論争をしていると言うことである。主人公は活動家でもなければただの平凡な女性であり林檎園で働く農婦である。てか、殆ど対局にいる人物で、なんの信念も持たされていない。といっても党のスローガンを口走ったりしてるが、それは彼女の理想とする林檎の木に関してであるが為だと推測はできる。本作の主演のレーナとハインツは、結局の所、祖母が残してくれた僅かばかりの土地で林檎の木を植える事になるが、立ち去る終盤を見ると敗残者の様に描いて見えるが、そんなこともない様な感じもする。理想を持って新たな土地に行くのだから…、どうにも、色々と暗示がある映画でる。

余談だが、この作品を撮ったブラームス監督は12年前に西ドイツ映画祭に参加する為、日本に来日していたが、その時はヘルツォークやウデンダースと一緒だったそうだ。しかし彼女の傑作「ドイツ・青ざめた母」(日本では残念ながらメディア化されておらず見る術が難しい)が上映されると尊敬する溝口健二監督のアシスタントの方が素晴らしい花束を送ってくださったと来日記者会見の時に言っていたことを思い出す。彼女はかれこれ6回も訪日している。そういえばこの作品のスタッフが皆東ドイツの人々と言うことにも今更ながらに気づいたが、彼女は東ドイツに対して非常に誇りを感じていると思われる。監督は、ベルリンから郊外に出る道を車で走っていて、左右の道端に引き抜かれ、枯れて横たわったリンゴの木が延々と続いてるの見て、この作品の直接の動機となったと言っていた(記憶の限りでは)。まるで、戦後の荒野に多くの人間の死体が横たわっているように思えて、私たちに対する警告だと感じたとも話していた。その時に、マルティン・ルターが言ったと言われる"たとえ明日、世界が終焉を迎えても、今日私はリンゴの木を植えるだろう"と言う言葉が頭に浮かんだそうだ。

ちなみにブラームスは、その言葉を興行的に良くないと言う理由で、ドイツ版には入れられなかったらしい。日本版では何とか入れられたので、これが私にとっての完全版であると非常に喜んでいた。それにしてもこの作品は凄く悲観的な映画だとドイツ人は思っただろう。この作品は非常に良い作品だと私は思うが、残念ながら人にお勧めする事はなかなか難しい。何故かと言えば、この映画に関心を持てるのは、戦時中戦後体験した人々の世代や、壁崩壊以前の旧東ドイツの鎖国的な生活とその後の価値観の転換などを、日本の戦後現象として追体験できる人物でないと、きっと深くまで入り込めないと思う。しかしながら、私もそれらに該当しない人物であるが、この映画を見るまでに、彼女の文学ルーツなどを読んだ上で鑑賞できたのでその分わかりやすく楽しめた。といってもVHSしかないためほとんどの人が見れない状況だろう…
Jeffrey

Jeffrey