ブラウンソースハンバーグ師匠

エターナル・サンシャインのブラウンソースハンバーグ師匠のレビュー・感想・評価

エターナル・サンシャイン(2004年製作の映画)
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フォーカスフィーチャーズのモーションロゴの美しさはこの映画で教わった。
監督の手作り感満載の意匠が、コミカルでライトな作風と噛み合っている。なんか可愛い。劇伴も素敵や。

例えば、誰かをひどく傷つけてしまった後、「あのときはどうかしてた」なんて言い種で謝ることがあるかもしれないけど、大抵は「どうかしてない」。自分から出た素直な気持ちを吐いたに過ぎない。自分の中で線引きをしては、線の外側にあふれた自分を忘れようとしている。わたしはそう言うのが嫌なので、誰かに嫌なことを言った後、自分の眼に相手をしっかり入れてから「あれ、純然たる本心だったんだ」と言うようにしている。そして、相手により嫌われる。どうかしている。
この映画の登場人物も同じだ。相手に牙を剥け、その牙の持ち主である自分に耐えられなくなり記憶を消す。そして、後悔をやり直そうとする。だが、記憶を消したはずの登場人物は「どうかしてた」自分を反復する。

脳内彼女は、主人公のすべてを理解し、常に主人公の事情に寄り添ってくれるパートナーだ。現実彼女みたいに石鹸の使い方ひとつで険悪にならない。わたしとしても、この微笑ましく小気味良いやり取りがずっと続けばいいのに、と思ってしまう。だが、それは美化された世界に閉じこもっているだけだ。(「それの何がいけないんだよ!」とぶちギレる人がいるかもしれないけど、わたしだってぶちギレたい。でも現実世界においてそれは駄目みたいだ)
現実彼女との起点となる場所で、脳内彼女は「今度はここに残ってみたら?」と言う。主人公は残らない。「さようなら」をし、反復を選択する。だが、キルスティンダンストの手によって選択にズレが生じる。後悔からやり直すのではなく、後悔の先からのやり直し。そのやり直しですら反復になることをこの映画は暗示する。主人公と現実彼女は「それでも」やり直すことを試みる。出た。わたしの大好物な「それでも」。

キルスティンダンストに嫌われて「存在しない」ように扱われるパトリックに「あれ、わたしが映ってる」と思ってしまった。ああいうのすごい傷つくので、本当に止めてほしい。