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タレンタイム〜優しい歌の六のネタバレレビュー・内容・結末

タレンタイム〜優しい歌(2009年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

もはや何度目だろう
タレンタイムを観に和歌山へ
今回は映画館ではなくライブハウスでの上映という一風変わった体験だった
「細い目」も上映してたのだが時間の都合がつかず断念、、
いつも暇してるのにこういうときに予定が重なるのは何故だろう、、。

タレンタイムは多民族、多言語、多宗教であるマレーシアが舞台
同じ国に住んでいても習慣や食事、結婚や葬儀など
様々な生き方が混在する
ムスリムやヒンドゥーといった宗教の違いを詳しく知らない人は
軽く調べてから観るとより深くこの作品を理解できるかと

日本でも人種差別的な発言をしてるのを聴くことがある
わかる部分もあるけど、大抵が聴いてて気分の良いもんではない
そういう人はだいたい一括りに話すから
あなたが一括りに話すその中に身近な人たちがいたら、
恋人や友人がいたら、
決してそんなふうに話せないはずだ。

何事も一括りはいけない
先入観や苦手だという理由だけで判断するのはおかしなことだ
個で付き合い、話し、それからあーだこーだ言うのはまだわかるけど

タレンタイムは一見静かで地味な映画に見えるが
(実際地味ではある、、)
描かれている日常の中には偏見や差別に対してのヤスミン監督なりのメッセージがたくさん込められている
そのどれもに良きも悪きも人間らしさが垣間見れて
そんなところが文化の異なる我らにも響く理由の一つかと。


何度も観ている自分が今回注目したシーンは
ラスト付近のマヘシュとムルーの階段でのやり取り
タレンタイム本番で歌うことが出来ずステージから逃げるように降りるムルー
(ここでのパパさんのセリフ、カッコイイ)
追うマヘシュ、手話でムルーに気持ちを伝えるが
手話がわからないムルーはマヘシュが何を言っているのかわからない

実際ここの手話には字幕が入らないので観客も「?」となるのだが
今回は「ヤスミン・アフマドの世界」に書かれていたこの手話の訳を自分の脳内で補完して鑑賞
このシーン「みなまで言うな」的なことで
敢えて字幕を外しているのだろうか?
だとしたらにくい演出である
どちらにしてもマヘシュの強い気持ちが込められているのは観客には伝わる
このあと彼はそっと愛するムルーの手を取り歩いていくのだから。

そして物語はラストシーンに
ハフィズの歌がはじまり、母親との、、カーホウとの、、、
ここはほんとヤバイ、
何度観ても身体中にじんわりと優しい気持ちが広がっていく感覚になる
そして冒頭とは逆に照明が消えていき、最高の余韻を残しエンドロールへ、
そりゃタレンタイムを人生ベスト1に挙げる人の気持ちもわかるわ
俺かてベスト1な作品かもしれない。


監督であるヤスミン・アフマドさんの言葉
“もしあなたが自分自身の心に触れる何かをやることができたら
その時はじめて、あなたは誰かの心に触れることができるのです”

座右の銘にしたい。
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