晴れない空の降らない雨

北ホテルの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

北ホテル(1938年製作の映画)
3.4
 『霧の波止場』の同年に公開されたマルセル・カルネ監督作品。この時期としては例外的にジャック・プレヴェールが脚本を書いていない。おそらくはそれが理由で、本作は、行き場をなくしたカップルの心中から始まるにもかかわらず、前作のような陰鬱さを見せてはいない。
 ストーリーの軸をなすのは2組のカップル。若いカップルの女性は青年期的なロマンチシズムを代表し、他方のならず者カップルの中年男は『霧の波止場』的な人生への悲観主義を代表する。しかしこの中年男のペシミズムは、連れ添いの情婦が見せる、生を楽しむことへの貪欲さに挟撃されている。
 両者を中心に、北ホテルに集う庶民たちの人間模様が繰り広げられる。洗練・優雅とは無縁のこの脇役たちの多様な生き様が配置され、本作に深みを与えている。背景では馬車や人びとが行き交い、子どもたちは運河沿いで遊んでいる。そうした描写の積み重ねが、ラストシークエンスにおける革命記念日のお祭り騒ぎの活力を本物らしく見せている。そして祭りの喧噪に疎外されるかのように人生に絶望した男と、祝福されるかのように人生に希望を見いだす若者たちを対置させて、物語は結末を迎える。つまり、師ルネ・クレール同様の庶民賛歌が、本作の基調をなしている(カルネは『巴里の屋根の下』の助監督)。
 ストーリーがルネ・クレールのような明るさを有することで、セットや照明もまた『霧の波止場』のようにドイツ表現主義の影響を窺わせるものから、標準的なリアリズムへと変化している。この写実主義の精緻さには驚かされるが、やはりセットゆえの箱庭感はつきまとう。我々が観るのは、誰かの心象風景としてのパリの下町だ。想像上の愛すべき労働者とならず者たちのテラリウムである。しかし、そのことは必ずしも映画にとって悪い話ではない。活気に満ちた庶民生活の雰囲気が四散していかぬよう、この小宇宙のなかに閉じ込められているからだ。