監督自身がモデルである主人公の、だらしない恋愛関係… 三角関係を続けながら他の元恋人にも未練たらたらで… を、4時間弱にわたって観続ける作品。
だいたい、原題も同じ、『ママと娼婦』って、なかなかに酷いタイトルだ。
女性をその二面でしか捉えられないのか、… と、そういった団体から苦情が来て然るべきというか。(実際、カンヌ映画祭の審査委員長イングリッド・バーグマンは本作品への賞の授与を拒んだのだとか。)
優柔不断で自分本位、わがまま放題のお子ちゃまそのものの主人公・アレクサンドルと二人の女性を中心に進んでいく物語。
ほぼ登場人物の会話で成り立っている作品で、ゆえに台詞で敷き詰められているという印象。
なのに、ずっと観ていたいと思わせるのはなぜだろう。
これだから映画って面白い。
舞台は五月革命直後のパリであり、なのでアレクサンドルのように子どもみたいな生き方を続けることが困難な時代の雰囲気であったろうことは容易に想像がつく。
にも関わらず、彼は街をほっつき歩き、女の子をひっきりなしに追いかけ、遊び疲れたら愛人の部屋に寝に帰る。
その時節にそんな生き方を続けることが、だんだんとてつもなくアナーキーに見えてくるのだ。
カフェで呑んでいるサルトルを小馬鹿にするシーンなど、ただただ好奇心旺盛な幼い子どもそのものではないか。
正しいも悪いも超越して、自身の開けっぴろげの自堕落さを表現することは、同時に無垢な純粋さの現しでもあるのだろうか。
その問いかけが似合うほどに、とてもヌーベルヴァーグ的。